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「母の名前を見るだけで吐いてしまう」20代女性を追い込んだ母親の“陰湿な対抗心”

 毒親育ちは、人生の足枷になる。毒親に育てられた子どもは、およそ“子ども”と呼べる年齢を過ぎてなお、精神的に支配され、懊悩を続けるからだ。  本連載では、毒親に育てられながらも、社会で自分の場所を見つけようともがく市井の人々に焦点を当てる。 「母親の発言は、こちらを腐すというか、私の幸運を心から望んでいない感じが昔からありましたね」  そう話す女性は、糸井敦子氏(仮名・20代)だ。猛勉強の末、早稲田大学に入学したものの、現在は精神状態がよくないため、休学をしている。
悩む女性

画像はイメージです

タイプが真逆だった母娘

「昔から勉強は嫌いではなかったのですが、おそらく注意欠陥のような性質があって、とにかく私は注意力がないんです。たとえば、買い物をしたのに商品を忘れてしまい、サービスセンターに取りに行って、またそこで傘を忘れてくる――というような感じです。  母親はどちらかといえば、勉強はあまり得意じゃないけど、生活面のことはきっちりやれるタイプの人です。分かり合えないなぁ、という感覚がずっとありました」  糸井氏の住む地域では、東京のように中学受験をする人は多くないものの、経済的も恵まれていた糸井氏は私立中学へ進んだ。 「田舎なので、別に難関校などがあるわけではありません。どちらかといえば地域で馴染めない子で、お金に余裕がある子が来ている感じでした。私がいうのもおかしいですが、生きるのがヘタクソな子もたくさんいて、居心地はよかったですね

「自分が落ちた中学に受かった娘」に厳しく当たる?

 だが私立中学に進んだことで、母からの風当たりは少し厳しくなった。 「母親が小学生のころ、同じ中学を受験して落ちているんですよね。なんだか、入学したあたりから、母親の小言が増えた気がします。『あんたな、女の子なんやから料理の1つもできんと将来困るで』とか『はぁ~、そんなことも知らんの? これだから勉強ばっかりはカタワになって駄目やな』みたいなことをほぼ毎日言われていたと思います。 『お母さんは私にポジティブな感情を持ってほしくないんだな』と思うようになりました。そのうち、自分は幸せになれないんじゃないかって感じ始めました
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「娘の逆境」を喜ぶように…
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ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki

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