カリスマ指導者のいないりーダーフルな運動
―― カリスマ的な指導者がいなくても、運動を広げ、「自治」につなげていくことは可能だということですか。
斎藤 はい、外苑再開発反対運動はこれまで日本にあった運動とは、かなり違う形のものですが、だからこそ、新しい形の運動として可能性があると思っています。一般に日本で社会運動と言えば、共産党や労働組合が主導し、動員によって参加者が集められる運動を思い浮かべると思います。私はこれを「20世紀型の社会運動」と呼んでいます。
この運動はソ連のマルクス・レーニン主義の考え方に対応しており、トップダウンで運動方針を決定し、それに参加者が「上位下達」で従う形になっています。ここに「自治」などあるはずがありません。けれども不平等で非民主的な運動が、平等で民主的な社会をつくることなど不可能です。
この矛盾を批判して出てきたのが、ウォール街占拠運動をはじめとする「
21世紀型の社会運動」です。これは旧来の垂直型の運動ではなく、水平的ネットワーク型の運動です。参加者たちは多数決ではなく、自由に意見を発言しながら全会一致で物事を決めていました。
しかし、ウォール街占拠運動にも問題がありました。第一に、あの運動は「1%vs. 99%」というスローガンを掲げ、「世界の所得上位1%に集中する富を残りの99%にもっと分配せよ」と訴えていましたが、参加者の多くは経済的・時間的にまだ余裕のある人たちでした。貧困層よりミドルクラス、女性より男性、黒人より白人のほうが、運動に関わる余裕があります。つまり、あの運動は最初からホワイトな中産階級男性が中心になる可能性をはらんでいたのです。
社会の差別や不平等が運動内部にそのまま持ち込まれてしまったと言ってもいいでしょう。
第二に、
直接民主主義を過剰に理想化していたことです。みんなの意見を聞いて全会一致で運営しようと思えば、どうしても規模を小さくせざるを得ません。直接民主主義への固執が、運動の拡大を難しくしました。
第三に、
リーダーのいない水平的な運動は、バラバラな意見を取りまとめることが難しいということです。そのため、全体を代表して既得権益層と交渉したり、新しい制度をつくったりすることができなかったのです。
この失敗を踏まえ、社会運動は新しい形を模索するようになります。その一つが、水平的運動として広く知られる「
ブラック・ライヴズ・マター」の創設者であるアリシア・ガーザが唱える
「リーダーフル」な運動です。リーダーフルとは、レーニンや毛沢東のように突出したリーダーが運動を指揮するのではなく、
リーダー的な存在がたくさんいるということです。そこできちんと「自治」を実践し、意思決定を行うことができれば、党が主導する前衛党型の運動にもリーダーがいない無秩序な運動にもなりません。これは、アメリカでは「
コミュニティー・オーガナイジング」の原則になっています。
神宮外苑再開発反対運動は、まさにリーダーフルな運動と言えます。先ほど見たように、この運動には特定のリーダーはいません。各人が自分の得意分野に取り組み、お互いに議論しながら運動を進めています。
―― 社会運動の難しいところは、所期の目的を達成できなかったり、妥協せざるを得なくなった場合、運動が分裂したり衰退してしまうことです。ウォール街占拠運動や、日本ならSEALDsがそうした道をたどりました。外苑再開発は強力に進められているため、反対運動はどこかの時点で妥協しなければならなくなるかもしれません。
斎藤 それに関しては、
『コモンの「自治」論』の著者の一人でもある
杉並区長の岸本聡子さんの対応が参考になります。岸本さんもまた新しい社会運動が生み出した区長です。
岸本さんを擁立した「住民思いの杉並区長をつくる会」は、既存の政党や労働組合などに頼らず、自分たちで政策集をつくりました。そして、岸本さんが候補者になってからは「区長は何を目指すべきか」を一緒に煮詰めていきました。
ここには「戦略」と「戦術」の逆転が見られます。20世紀型の政治では、指導者が「戦略」を練り、現場の人たちが「戦術」を担っていました。これに対して、岸本さんたちの場合は、
政策集という「戦略」を練ったのは市民で、岸本さんが担っているのはその「戦略」をいかに実現させていくかという「戦術」面です。
もちろん、市民たちの政策集をすべて実現できれば、それに越したことはありません。しかし、既得権益は強大な力を持っていますから、政策に優先順位をつけたり、妥協しなければならない場面も出てきます。その際、リーダーが一人で「この政策は諦めよう」と決めてしまえば、市民たちは不満を募らせ、運動は衰退していくでしょう。
そこで重要になるのが「自治」なのです。市民たちときちんと議論し、方向性を決定できれば、「戦略」を実現するためにも一時的に妥協するという決断が受け入れられる余地はあると思います。
「自治」が機能していれば、たとえ運動が壁にぶつかったとしても、そこで運動が潰れてしまうことはないはずです。
―― 『人新世の「資本論」』(集英社新書)で世界の環境危機を大きく捉えた斎藤さんが足元の「自治」をテーマにするのは、意外な感じもしました。
斎藤 大きな視点で見ても、
「自治」は重要なのです。現代の困難な状況は「複合危機」(ポリクライシス)と呼ばれています。新型コロナ・ウイルスのパンデミックもその一つですし、今後は気候変動の影響で食糧危機や水不足、難民問題などがさらに深刻化していくでしょう。そうなれば、資源獲得競争や排外主義の台頭によって世界がさらに分断されます。それはインフレや戦争のリスクを増大させます。つまり、自然環境破壊と経済危機、地政学リスクなどの複数のリスク要因が増幅し合い、文明と平和、生存を脅かすということです。
これから先、複合危機によって事態がどんどん悪化していくことはあっても、急激に改善することはありません。むしろ、資本はさらに暴走し、これまで手をつけてこなかった〈コモン〉の領域まで独占することで、利潤をあげようとしてくるでしょう。
だからこそ
、市民は〈コモン〉を守り、破壊されてしまったとしてもその〈コモン〉を再生・管理する中で、「自治」の力を鍛えていくしかない。大きな事態に挑むにしても、身近な、足元の部分で「自治」をすることから始めるしかないのです。
その試みの始まりは、小規模でも構いません。『人新世の「資本論」』でも述べたように、ハーバード大学の政治学者エリカ・チェノウェスによると、
3・5%の人々が立ちあがれば社会は変わります。その第一歩を、私たちはいまこそ決意して踏み出すべきです。
(7月31日 聞き手・構成 中村友哉)
<初出:
月刊日本9月号>
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