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アロハシャツの生みの親は日本人だった?“不良”イメージの払拭に苦心した過去も

日本にアロハが入って来た歴史は?

 ハワイに渡った日本人が、その礎を作ったアロハシャツ。しかし、日本人が一般的に着用するようになったのは、1960〜70年代頃でかなり時代を経たあとであると中野氏は話す。 「1940年代後半から弊社の前身である会社が日本国内でスカジャンなどとともにアロハシャツを製造していたのですが、当時は米兵を始め海外の方への販売がほとんどでした。そこから、日本人にもアロハシャツが広まったのは、海外渡航の自由化(1964年)で『憧れのハワイ』のイメージが日本人の中に生まれたのが一因ですね」  しかし、日本ではアメリカのように一気の流行とはならなかった。日本人が生んだといっても過言ではない文化だが、何が障壁になったのだろう。 「日本では、ある時から『アロハシャツ=不良』のイメージがついてしまいましたね。弊社も、そのイメージを払拭するのに苦心しました。日本とハワイをつないだヴィンテージのアロハシャツは、芸術性も希少性も高く世界で評価され、私たちにとって大変誇らしいものです。悪いイメージを払拭し本来の魅力を伝えるために、復刻版アロハシャツを通してその魅力をお伝えしてきました」  さらに、アロハシャツの歴史を本にして出版するなど様々な努力があったと中野氏。その甲斐あって、現代ではオシャレなアイテムとして定番化し、さらには美術館からもアロハシャツの展覧会を開催したいと、声がかかることもあるそう。

日本でも人気が高まったアロハシャツだが

 現在、中野氏の監修する『SUN SURF』ではヴィンテージの復刻版を製作しているが、ヴィンテージにこだわる理由はどういったところにあるのか。 「海外渡航の自由化などの影響で、日本でも認知を広げたアロハシャツですが、当時のものは、リゾート的な華やかなイメージだけで作られた完成度の低いものでした。一方、質もデザインも良いヴィンテージのものは当時から希少で高価だったため、容易に手に入るものではありませんでした。そこで、往年のアロハシャツのような芸術性も質も高い魅力的なモノづくりを目指して、1970年代半ばに世界ではじめてヴィンテージアロハシャツの復刻をする『SUN SURF』がスタートしたんです」  その後、同社の企業努力に加え、1980年代からはアメカジや古着のブームが到来。その中でヴィンテージアロハシャツの価値が日本人にも認知されるようになってきたのだという。
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Boogie the マッハモータースのドラマーとして、NHK「大!天才てれびくん」の主題歌を担当し、サエキけんぞうや野宮真貴らのバックバンドも務める。またBS朝日「世界の名画」をはじめ、放送作家としても活動し、Webサイト「世界の美術館」での美術コラムやニュースサイト「TABLO」での珍スポット連載を執筆。そのほか、旅行会社などで仏像解説も。

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