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アロハシャツの生みの親は日本人だった?“不良”イメージの払拭に苦心した過去も

 何事にも始まりがある。そしてそこには、想像もつかない状況や苦労も。例えば「アロハシャツ」。現在では、夏の定番ファッションとして男性ばかりでなく女性にも人気のアイテムだ。その誕生にはどんな裏側があったのか、ヴィンテージアロハシャツブランド『SUN SURF』の企画統括で、アロハシャツ研究家の中野喜啓氏に聞いた。

アロハシャツの根源が日本に!?

「アロハ」がハワイの挨拶であるように、アロハシャツもハワイ生まれであると思っている人も多いだろう。しかし、その誕生の裏には19世紀に日本からハワイへ渡った日系移民の存在が深く関わっていることは間違いないと中野氏。 「日系移民は日本から持参した浴衣など和装の生地が古くなると、その端切れを使って子供用のシャツを仕立てていました。それを見た現地の学生たちが、日系移民の営む仕立て屋で和装生地のシャツを作り始め流行しました。これが1920年代後半です」  このエピソードから、ネット上には”キモノの生地を使っていた”という情報もあるが、当時の移民にとって着物は非常に大切なものであったため、その情報は誤りだと中野氏は続ける。

ハワイ生まれのアロハシャツがアメリカ本土にも

「ホノルルでの流行が、アメリカ本土からの観光客の目に留まり、彼らもまた日系移民の仕立て屋に和装生地のシャツの制作を依頼するようになったんです。和装の独特な色や柄が、アメリカの人々には新鮮に見えたのか、そのシャツはハワイで着用するリゾートウェアや、ハワイの思い出を込めた土産として広まっていったと言われています」  ハワイに暮らす日系移民にとっては、和柄のアロハシャツは故郷を思わせるため、懐かしくも新鮮に映ったことが想像できると中野氏。また、アメリカ本土からの観光客は、当時スーツ姿でハワイに訪れていたため、アートが主役になったようなアロハシャツは衝撃的だったろうとも続けた。  さらに中野氏よれば、アメリカ本土でのアロハシャツの人気を確固たるものにした人物がいるという。 「水泳でオリンピックの金メダルを獲得し、ハワイの英雄となったデューク・カハナモクの存在は大きいですね。彼がハワイの観光大使として、アロハシャツを身にまとい全米の主要都市を巡ったことでアロハシャツの名はさらに広まりました。アカデミー賞を受賞した映画『地上より永遠に』(1953年)に登場しているアロハシャツはデュークが手がけたものです」  映画では『ブルー・ハワイ』(1961年)でエルビス・プレスリーが着用したり、人気俳優で歌手のビング・クロスビーもアロハシャツを愛用するなどもあり、ハワイの存在とイメージが世界に広がっていった。

アロハシャツ研究家の中野喜啓氏

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日本にアロハが入って来た歴史は?
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Boogie the マッハモータースのドラマーとして、NHK「大!天才てれびくん」の主題歌を担当し、サエキけんぞうや野宮真貴らのバックバンドも務める。またBS朝日「世界の名画」をはじめ、放送作家としても活動し、Webサイト「世界の美術館」での美術コラムやニュースサイト「TABLO」での珍スポット連載を執筆。そのほか、旅行会社などで仏像解説も。

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