TOTO『ウォシュレット』誕生当時の苦労。「おしりは拭くもの」という“常識”への戦い
何事にも始まりがある。そしてそこには、想像もつかない状況や苦労も。例えば「温水洗浄便座」。今では家庭だけでなく、公衆トイレや商業施設にも多く設置され、清潔な国・日本の代名詞的存在ともいえる。そして、その温水洗浄便座のパイオニアといえるのがTOTOの『ウォシュレット』だ。その誕生にはどんな裏側があったのか、TOTO株式会社の広報担当、浅妻令子氏に話を聞いた。
現在、家庭の81.7%(2023年3月末時点。内閣府消費動向調査)に設置されているほか、多くの商業施設でも当然のように使える温水洗浄便座。日本でのそのはじまりは1964年のことだと、広報の浅妻氏。
「アメリカン・ビデ社が製造していた『ウォシュエアシート』という商品が、TOTOに持ち込まれました。医療用の製品でしたが、私どもは『痔を患っている人に喜ばれそうだ』との判断から、1964年12月に国内販売を開始しました」
後に日本中に広まる『ウォシュレット』の原型は、アメリカ製の医療用製品だったのだ。TOTOはそこから国産品を発売することになるが、どういった部分を改良したのだろう。
「輸入品は座面が小さかったり、温水になるまでの時間がかかったり、温水になっても湯温が安定しないなどの不具合がありました。また、吐水角度も一定にならないという部分も改善が必要な点だったんです。それを改良し、さらに暖房便座機能を加えて、1969年11月に発売したのが“国産品”の『ウォッシュエアシート』です。当時は、病院や福祉施設が中心で、住宅では高所得者向けに販路を広げました」
浅妻氏が語る通り、初めは一般向けではなかった温水洗浄便座。
それは、国産品の『ウォッシュエアシート』もまだ、湯温や吐水の角度が不安定という欠点は残っていたのが一因と浅妻氏。また、発売当時は現在と違って一般家庭では和式便器がポピュラーで、製品を取り付けられる洋式便器の母数自体が少なかったという時代背景も影響しているだろう。
しかし岐路は、いくつかの波を伴って徐々に訪れた。
「1970年代後半の秋から冬にかけて、月に数百台が売れるようになったんです。購入層を調べてみると、販売先のほとんどが一般家庭でした。当時の報告書には『おしりを洗う気持ち良さが”口コミ”で広まっている』とあります。
また、1970年の大阪万博を機に日本のトイレが和式から洋式へと一気に変化していったと言われています。そして、1977年には和式便器と洋式便器の販売数が逆転したんです」
温水洗浄便座を発売するきっかけ
一気に広まらなかったワケとは?
Boogie the マッハモータースのドラマーとして、NHK「大!天才てれびくん」の主題歌を担当し、サエキけんぞうや野宮真貴らのバックバンドも務める。またBS朝日「世界の名画」をはじめ、放送作家としても活動し、Webサイト「世界の美術館」での美術コラムやニュースサイト「TABLO」での珍スポット連載を執筆。そのほか、旅行会社などで仏像解説も。
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