覚せい剤を「予備校の先輩にもらった」…ヤクザから弁護士に転身した“元神童”が歩む異色の人生
綺麗事に聞こえるかもしれないが、再起のきっかけさえあれば、人は変わる。
間違った方向へ人生が流れそうになったとき、自らの手にある“踏み止まれるもの”を自覚する者は幸福である。自分の人生をどう設計していくか。すなわち、私たちはどう生きたいか。一度道を外れて尚、現在は仕事で社会貢献する者たちの軌跡を追いかける。腫れ物だった彼らが這い上がるまでのドラマに、迫った。
東京都台東区に事務所を構える諸橋法律事務所。代表弁護士の諸橋仁智氏は、ヤクザから弁護士へ転身した異色の法曹だ。覚せい剤にまみれ、精神病院への措置入院まで体験した氏が弁護士になるまでの道程を振り返る。
「もともと私は勉強が好きで、故郷ではちょっとした神童扱いだったと思います。学生時代の成績もよく、大学は東京大学を本気で狙える位置にいました。結果的に届かず、私は浪人することを決めました」
だが大学受験のために通うはずの予備校が、覚せい剤に手を出すきっかけになってしまう。
「覚せい剤は、仲の良かった予備校の先輩にもらいました。東大に行けなかった時点で少し投げやりになっていたところがあって、『こんな人生に何の意味もないな』と感じていたころです。私は昔から思い切りがよくて、やると決めたらどんどん突き進むタイプです。だから覚せい剤も、そこまで躊躇せずに手を出しました」
明晰で判断が早く、思い切ったらすぐに行動を起こす。ヤクザになるまでも、そこまでの時間を要さなかった。
「不良界隈にとってヤクザは権威があって、一目置かれた存在です。すでに実際にヤクザにかかわる機会も多くあった不良時代の私は、メリットとデメリットをすべて理解したうえで、ヤクザになることを選択しました。」
盃を交わした諸橋氏は、その頭脳によって覚せい剤の売人としての頭角をすぐに現した。
「非合法なものは利幅も大きいですから、すぐに儲けることはできました。子供のころから利に聡いところがあって、故郷で虫を捕まえてきて『これ、いくらで売れるかな?』とか母親に聞いて呆れられていました。実家には家業があって広大な土地がありましたが、私の商才のようなものは親から受け継いだものではないような気がします」
覚せい剤は「予備校の先輩にもらった」
“商才”を活かして売人として頭角を現す
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki
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