誰かと一緒に暮らす危うさを描いた連作短編集。折り合わなくても違いをわかりあえたらいい/『今日のかたすみ』書評
―[書店員の書評]―
世の中には読んだほうがいい本がたくさんある。もちろん読まなくていい本だってたくさんある。でもその数の多さに選びきれず、もしくは目に留めず、心の糧を取りこぼしてしまうのはあまりにもったいない。そこで当欄では、書店で働く現場の人々が今おすすめの新刊を毎週紹介する。本を読まなくても死にはしない。でも本を読んで生きるのは悪くない。ここが人と本との出会いの場になりますように。
生活上の些細なことでも、少し視点を変えるだけで捉え方が違ってくるのはよくある話だ。同じ場所で同じ体験をしていても、人によってまったく反応が異なる様子を見ていると興味が尽きない。またそれを見た人も他人事ではないと思うのではないか。川上佐都の『今日のかたすみ』は、カップルや親子、友人や隣人同士を通して、そのような出来事のグラデーションを丹念に描いた5編の連作短編小説だ。
物語は学習塾に勤める講師の20代男性・遥を中心に進む。彼の友人や同僚など、どの登場人物も読者の身近にいるような存在で、みんな平和に暮らしているようにも感じられるが、それでもちょっとした考えの違いによって、日常に静かに波風が立ち始める。
まず1話目の「愛が1位」がとても良い。遥は、友人であり正直な性格で誰からも好かれるモキチとのルームシェアを解消し、付き合っている同僚の百(もも)ちゃんと同棲を開始する。互いに愛情を持ち、気遣い合い、充実した楽しい日々を過ごしているが、だんだんと一緒にいると考えの行き違いが表れてくる。映画鑑賞などの趣味や友人関係を大切にして今まで過ごしてきた遥。そんな遥にあまり合わせることができない百ちゃん。やがて遥の会話や行動の端々から、相手ヘの無意識な違和感がかすかに浮かび上がる。そんな雰囲気を知ってしまった次の百ちゃんのひと言が重い。
〈でも私だって、すごく楽しい人生を送ってきてるのね。私にとって時間は誰と過ごすのかが大事で、何をするのかっていうのはそこまで大事じゃないから、遥くんといられればなんでもいいの。映画がつまらなくても、遥くんが横にいるならいいの。――ねえ、意味分かんないってって顔、しないで〉
そして遥も心のなかで呟く。
〈違うことは寂しいことではないのに、僕は何を望んでいるんだろう〉
自分を犠牲にしてでも、かけがえのない大事なパートナーをいつでも一番大事にできるかと言われると、自信がなくなっていく遥の切なさに同情してしまう。しかし一方で百ちゃんの想いや言い分もとても理解できて、序盤からぐっと引き込まれる。
また本作では言葉と同じくらい登場人物の仕草も重要な鍵となる。会話だけでは表現できない感情が、ちょっとした表情の動きやクセによって鮮やかに表れて、印象をより深くする。
例えば「避難訓練」という作品のある場面に注目してほしい。遥とモキチと、遥の後輩の講師である戻田の三人がルームシェアをする話だが、家事を分担し飲み食いしながら楽しく生活する彼らにも、やがてまた波風が起こる。小さな頃から憧れていた職に就くものの、自分が思っていた理想の講師のハードルに届かなく悩んでしまう戻田。悪意なくストレートに意見をするモキチ。ある日の部屋での食事の時、どんどん落ち込む戻田をあの手この手で優しく慰める遥だが、〈僕が言うと、戻田は餃子を嚙みながら僕を見て肯いた。どれだけ嚙んでも光のない瞳は開いたままで、僕の言葉が響いていないことは一目で分かった〉と気づく。
この描写によって、にっちもさっちもいかない戻田の心情が、話を聞くが他人を受け入れない表情で的確に表現される。また同時に遥のなすすべもない徒労感も大きく影を落とす。多くの言葉を尽くさなくても、そんなちょっとした仕草の積み重ねによって、上辺ではない登場人物の本当の想いが滲み出てきて、読者へリアルに響き、いろいろ考えさせられる。
他の短編も紹介した2作と同じく、ちょっと面倒臭く感じるけど、愛すべき人たちが織りなす生活のリズムの心地良さと切実さが、とても素晴らしい作品だ。読み終えると、どの登場人物に共感できるか肩入れできるかではなくて、すべての人物の考え方や想いが読者のなかに潜んでいるのに気づく。その上で誰に対して何ができるのか。遥はある場面で〈僕は何もできなかったよ〉と淡々と呟く。でも君の頑張りや気遣いは決して無駄ではなかったよ、と声をかけてあげたくなるのは筆者だけではないと思うのだ。
本作は純粋にきらきらしたエヴァーグリーンな小説ではないかもしれない。しかし遥たちのように誰かと一緒に暮らし続ける危うさと心許なさに悩んでも、それでも同じ時間を過ごすことで得られる、確かな幸福を信じる行為もきっと必要なはず。その上で安易に互いに折り合わなくても、時間が許す限り相手との違いを確かめつつ、こうあるべきというより、こうあってもいいよ、と心のなかを解きほぐす物語ではないかと思う。著者にとって2作目ではあるが、これからの活躍を大いに期待させる魅力に満ちた作品だ。
評者/山本 亮
1977年、埼玉県生まれ。渋谷スクランブル交差点入口にある大盛堂書店に勤務する書店員。2F売場担当。好きな本のジャンルは小説やノンフィクションなど。好きな言葉は「起きて半畳、寝て一畳」
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