「誰もが“無自覚な加害”をしている可能性がある」ハラスメントを題材に“今”を描いた小説/『ブルーマリッジ』書評
―[書店員の書評]―
世の中には読んだほうがいい本がたくさんある。もちろん読まなくていい本だってたくさんある。でもその数の多さに選びきれず、もしくは目に留めず、心の糧を取りこぼしてしまうのはあまりにもったいない。そこで当欄では、書店で働く現場の人々が今おすすめの新刊を毎週紹介する。本を読まなくても死にはしない。でも本を読んで生きるのは悪くない。ここが人と本との出会いの場になりますように。
「エモい」という言葉が日常的に使われるようになってずいぶん年月がたつ。書店店頭でもそのジャンルの本が販売され、若い世代を中心に手に取る方が多い。そんなエモい情景を鮮やかに描く小説家の一人に、『明け方の若者たち』『夜行秘密』などで多くのファンを集めるカツセマサヒコが挙げられる。
数年前、カツセと店頭で会う機会があった。担当編集者を交えて、謙虚に自身の作品などについて語る彼の話を聞いていると、読者のさまざまな想いを背負える作家だと感じた。それ以来、文章だけではなく、SNSやラジオにおける活動も注目してきた。そして先月6月、久しぶりの三作目の長編小説『ブルーマリッジ』が刊行された。今回はどんな魅力的な世界が繰り広げられているのだろうか、と楽しみにページを開いた。
主人公はある企業に勤務する男性会社員二人。人事部に所属する20代の若手社員である守と、50代で営業課長の土方。世代も価値観も違う二人だが、男性として無自覚に加害者となってしまう過程が、さまざまな場面で描かれていく。
守のパートナーである「出逢って八年、付き合って六年、同棲を始めて二年」の翠の存在も大きい。結婚を控えた20代後半の二人だが、平穏な生活に波風が立ち始める。いま何が不満で、結婚後の自分たちにとって何が理想なのか。ちょっとした言葉や接し方、食事や外出の際の出来事における違和感が二人の間から次々と出てくる。常日頃から翠や職場の女性、また学生時代に付き合いのあった女性を気遣ってきた守に対して翠は、これまで無意識に女性たちを傷つけてきたのでは、という言葉を投げ、さらに次のように指摘する。
「表層的なものだけ掬い取って、大切なことは何ひとつわからないまま、動いている気がする」
思わず襟を正したくなる言葉だ。特に男性は、その甘えに身に覚えがある人も多いと思う。
そして守が所属する人事部は、土方が部下に起こしたパワーハラスメントの対処を、被害者の女性から求められる。土方は仕事一筋で妻や娘に高圧的な態度を取ってきた。会社に長年貢献してきた自分は悪くない、金を稼いで家庭を守ってきた自分は正しい、と。周囲に考えを押し付ける土方の態度はとても共感はできないが、守と同様に、土方もまた無自覚に加害をしてしまっているひとりであり、誰もが無自覚に加害者になっている可能性がある。
人の心に傷を与えてしまったことは一度もないと言い切れる人はいないだろう。また周囲から自身の考えを否定された土方のように、「俺だけが、被害者に決まっている」と孤立し反論する人だっているかもしれない。被害者のケアと同時に加害者への接し方、そして第三者がその加害を厳密に判断するのは、なかなか難しい。
しかし著者であるカツセは、あくまでも被害者の側に立ち、守など登場人物を介して心の痛みに丁寧に寄り添い、被害者の女性へ言葉をかける。
「傷ついた事実は、噓にしなくていい」
「耐える必要もないものを耐えてきたのは、環境のせい」
その上で、カツセと読者は共に、被害者の女性から返ってくる感情を静かに待つ。そしてやっと吐き出された言葉に対して、解決方法は何かと考える 。加害を認め、謝ったとしても、被害者にとって相手からの謝罪は、自身に永遠に効く魔法の薬ではないはずだ。では加害者は次にどういった行動を取ればいいのか。カツセは守と土方やその周囲を通して冷静に探っていく。
全ての人間が支持する傷が癒える方法は、すぐには見つからない。だが与えてしまった罪を悔いて考えを改めることで、より良い方向へと変化して、自らを戒めながら前に進むことはできないだろうか。私はそんなメッセージを『ブルーマリッジ』から受け取った。『明け方の若者たち』『夜行秘密』は20代前半を中心とした登場人物たちが、つかの間の幸福を逃した後悔と失敗の感情に苛まれながら、自分らしい生き方を見つけようと努力する作品だった。『ブルーマリッジ』も登場人物がこの二作と同じように悩み、ハラスメントや結婚、家庭に失望しながらも、性差や環境の違いを思いやり、未来へ向かう希望の物語だと強く思うのだ。
改めてカツセは、生きづらく感じている人々と、目まぐるしく価値観が変化する時代に、常に寄り添ってきたフェアな小説家だと思う。また犯した過ちやどうにもならない苦しみを他者や社会へどう伝えるのか。その感情を言葉にしてどう表現しようかと、日々努力しているのではないだろうか。
カツセと読者の言葉と物語のキャッチボールは、これからもまだまだ続く。そうしてお互いに課題を共有し考えながら、みんなにとってのより良い生活をどう実現できるのか。人の傷から生まれる葛藤と罪からの赦しを、被害者と加害者の両方の視点から描き切った『ブルーマリッジ』が、今の時代の刊行された意義はとても大きいはずだ。
評者/山本 亮
1977年、埼玉県生まれ。渋谷スクランブル交差点入口にある大盛堂書店に勤務する書店員。2F売場担当。好きな本のジャンルは小説やノンフィクションなど。好きな言葉は「起きて半畳、寝て一畳」
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