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3月に「笑点」卒業の林家木久扇が“2度のガンを克服”できたワケを語る「毎朝ガンに向かって…」

あのときは正座してるだけで精いっぱいだった

バカの遺言 大喜利で指されてから「あれ、問題なんだっけ?」って忘れるやりとりは、いつもはネタとしてやってるんですけど、あのときは正座してるだけで精いっぱいだったから、本当に忘れていたかもしれない。  でも、長年やっているから、それなりにちゃんと答えて座布団をもらったりして、テレビを見ている人には「いつもと違うな」ってことは気づかれてなかったんです。  手術が終わって、先生は「食生活にさえ気を付けていれば、胃はもう大丈夫」って言ってくださいました。ただ、こういう商売なんで、落語会や講演のあとには必ず打ち上げがあるんです。  催しの担当者が「また来年もやりましょう」と言ってくれたりもする大事な席なので、せっせとお付き合いしてました。

14年後に今度は喉頭ガンに

 胃のほうは静かにしててくれていたんですけど、14年後に今度は喉頭ガンになりました。咳がコンコン止まらないから大学病院で検査したら、喉頭ガンのステージ2だったんで。そのうち声が出なくなっちゃった。  ガンって「こうすれば治る」っていう決まった治療法はないんですよね。放射線がいいのか抗ガン剤がいいのか、通院でいいのか入院するのかしないのか。  ぼくは噺家ですから、とにかく声を守りたかった。抗ガン剤治療だと髪の毛が抜けるって言うし、そうなるとテレビ映りがよくない。入院もしたくなかったから、通院で放射線治療を受けることにしたんです。  その治療法が効いてくれるかどうかは、やってみないとわかりませんが、絶対に治る気がしてましたね。
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空襲に比べれば病気なんて怖いうちに入らない
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バカの遺言 バカの遺言

愛すべき「与太郎」が
伝えたいこと

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