更新日:2024年04月05日 18:30
スポーツ

「一応、交渉の権利だけ取ってくれませんか」広岡達朗がプロ入り拒否の工藤公康を6位指名した夜

「こいつは二軍に置いていたらだめだ」広岡の決断

「いいカーブ放るな」 自主トレ中のピッチングを見て、広岡は一目で工藤は使えると感じた。 工藤のカーブは、〝うまく目の錯覚を起こしながら投げる変化球〟と自ら言うだけあって、一瞬浮き上がるような軌道を描く。バッターとピッチャーとのちょうど中間あたりで 一気に急降下するため、パッと視界から消えるような感覚に陥る。工藤自身もどれくらい曲がっているかはわからない。その日の打者の反応を見て大体の球筋を予測する。 広岡は、自主トレ期間、春季キャンプと工藤をじっと観察し性格を分析していた。 「こいつは、二軍に置いていたらだめだ。小利口だから周りに合わせてしまう。一軍で俺のもとで育てよう」 スタッフ会議の場でそう公言した。広岡がピッチャーを技術的に分析する際にまず見るのはフォームだ。変則でも自分に合った投げ方をしていればいいが、肩肘に負担がかかる投げ方ならば二軍からスタートだ。次にスタミナ、そしてメンタルだ。ストレートや変化球はプロに入るレベルなのだから一定水準は満たしている。そのうえでピッチャーは健康で長持ちできることがまず先決。工藤は、実に理に適った投げ方をしていた。 高卒ルーキーながら即一軍で通用するカーブを持っていた工藤を、左打者のワンポイントとして起用することを決めた。マウンド度胸もあり、一級品の球を持つこの男を〝坊や〟と呼び、広岡は可愛がった。怖いもの知らずというか、マウンド度胸があるというか、ちょっとやそっとじゃ物怖じしないタイプ。それこそが工藤公康の真骨頂だった。 シーズン中、藤井寺球場で近鉄の四番栗橋茂に対して頭部へデッドボールを与えたことがあった。球場はスタンドの近鉄ファンの野次で大騒ぎ。工藤が「すいません」と帽子を取って詫びる間に、ベンチの広岡が大声で「工藤もういい、こっちこい、降りろ」とピッチャー交代の合図をした。 昔はすぐに乱闘になるため、こうして場が荒れ始めると早めの継投策で投手を逃すしかなかった。それでも工藤は、初めて見る騒然とした光景を珍しそうに「へえ〜」といった顔で見回していた。 大阪球場での南海戦では、四番門田博光に対して胸元へ投げて身体を仰け反らせた。すると、門田が鬼の形相でずっと工藤を睨み威嚇する。「こえぇ〜」と思いながらも、次もインサイド低めに投げると、今度は門田がさらに鋭い目つきでバットをかざして「外を投げろ」と指示する。「ええ〜」と思いながらも工藤は平然と無視してサイン通りの球を投げた。まさに昭和の野球だ。 ルーキーイヤーは、27試合に登板し、1勝1敗、防御率3・41。ワンポイントの登板が主ではあるが、高卒新人としては上々だ。そして、二年目、新人王候補の筆頭とされ、春先のキャンプでも期待の若手として大いに期待されたが、シーズンに入ると中継ぎ専門となり、23試合登板で2勝0敗、防御率3・24。そして、運命の三年目を迎えることとなる――。 (次回に続く) ※工藤公康も出場する西武ライオンズ初のOB戦「LIONS CHRONICLE 西武ライオンズ LEGEND GAME 2024」が3月16日(土)にベルーナドームにて開催予定。
1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て2009年8月より沖縄在住。最新刊は『92歳、広岡達朗の正体』。著書に『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。

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