更新日:2024年04月05日 18:31
スポーツ

「漫然と野球をやっていた」広岡達朗の指令によりアメリカへ飛んだ工藤公康の“覚醒前夜”

工藤は心に訴えかける「俺はどうしたいんだ? 何をやりたいんだ?」

1Aで頑張るマイナー選手たちのひたむきなプレーとメンタルに心を揺り動かされた工藤は、ここでようやく本気になって自身を見つめ直した。 「俺はどうしたいんだ? 何をやりたいんだ?」 俯瞰して考えるのではなく、自らの心に訴えかけた。 その答えさえ出れば、あとはその目的のためにどうすればいいのか逆算していけばいい。そして何よりも、己を信じること。その地域地区の天才たちが集まっているのがプロの世界。能力が高いやつの集団であることくらい最初からわかっている。高卒ルーキーとして一軍で少し投げさせてもらっただけで、まだ何もしていないのに諦めている自分が小っ恥 ずかしくなった。 このときから周りを見なくなり、己を信じてトレーニングに没頭した。今までは「これぐらいやっとけばいいか」とどこか余力を残していたが、「まだまだ」と自分を追い込むようになった。スポンジが水を吸収するように技術が伸び、プロ入り時と比べて三年目のシーズン終了後には最高球速が10キロ以上アップした。 カリフォルニアリーグが終了し、いったん帰国して一〇月からアリゾナの教育リーグにも参加した。引率者は同じくコーチの和田だ。「工藤の顔つきが変わった。カリフォルニアで何か摑んだな」。和田は工藤を一目見てすぐに感じた。 〝坊や〟と呼ばれてヘラヘラしていた男が一皮剝けようとしている。一カ月半の教育リーグも終わり、心身ともに逞しくなって帰ってきた工藤は、秋季キャンプが終わっても、オフ返上で引き続きトレーニング を続けた。 一二月二七日、年内最後のトレーニングとして第三球場で二つ下の渡辺久信と一緒に投 げ込みをやった。「バシッ!」「ナイスボール」。ブルペンキャッチャーが心地よいキャッチ音を鳴らし、タイミングよく声をかけてくれる。ボールへの指のかかりもよく、腕もよく振れている。ボールが走っているのが自分でもわかる。 「やっとプロらしい球を投げるようになったな」 後方から声が聞こえ、振り返るとトレンチコートを羽織った広岡の姿があった。「監督!」。工藤はびっくりして声を出す。 「続けろ」 「はい」 工藤は反射的に答えた。 工藤と渡辺はアイコンタクトをし、互いに熱のこもったピッチングを披露した。工藤は、褒められたあとに正直ガッツポーズしたい気持ちだった。 この年の暮れの第三球場で、工藤と渡辺の若きエース候補たちが切磋琢磨して投げている姿を見て、広岡は若干口元が緩んだ。 「こいつらが来年、投手陣の柱になれば間違いなく優勝できる」 第三球場の外野の芝は茶色く枯れ上がっているけれど、春になれば青々とした芝に生え変わる。ベテランの力に頼って優勝を手にしたが、本当の意味で西武ライオンズが誕生するのは、来年からだ。乾いた空気を切り裂くように二つのミット音が交互にテンポよく鳴り響くのであった。 (次回へ続く) ※工藤公康も出場する西武ライオンズ初のOB戦「LIONS CHRONICLE 西武ライオンズ LEGEND GAME 2024」が3月16日(土)にベルーナドームにて開催予定。
1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て2009年8月より沖縄在住。最新刊は『92歳、広岡達朗の正体』。著書に『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。

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