更新日:2024年04月05日 18:32
スポーツ

「バンザーイ! バンザーイ!」広岡退任に沸き立った選手たち。そのときチームリーダーの石毛宏典は複雑な気持ち…

「お前だって長く野球やりてえだろう」

「監督、僕にも教えてください」 帽子を取って非礼を詫びた形をとる。 「ようやく気づいたか、入れ」 広岡は、待ち構えていたかのように言う。 少しでも広岡と関わった者なら誰でも知っているが、広岡流の守備特訓の第一段階として、ごく基礎的な練習からやらせるのが定番だ。広島、ヤクルト時代と同じように、最初 はゆっくり転がしたボールを捕らせることから始める。ゆっくりボールを転がしたと同時 に大声が飛ぶ。 「石毛、こう(最初から構えて捕るのではなく、上から摑むように)捕れ!」 なんでそんな捕り方をさせるのかわからなかった。とりあえず言われたとおりに上から摑むように捕ろうとしたら、ボールが抜けていった。捕れなかったのだ。 「ほら見てみろ、こんなボールなのに捕れねえだろ。下手くそ」 石毛の表情は一変した。小っ恥ずかしかった。 上から摑むように捕るためには、相当腰を下ろさなければならない。次からは、腰をがっちり落として慎重に捕った。しばらく続けてから広岡は石毛を呼び寄せた。 「お前だって長く野球やりてえだろう。将来指導者になりてえだろう。今のお前は我流なんじゃ。三〇ぐらいまでは今のやり方でもできるかもしれんけど、三〇過ぎたら、その身のこなしではまともに野球ができなくなるし上手くならん、指導者もできない」 石毛は広岡を真摯な目で見つめ、監督の言わんとしていることを汲み取ろうとした。広岡の目には怖いほどの強い力が宿っていた。 広岡が、なぜ口酸っぱいほどに基礎と言うのか、石毛は考えてみる。まずは原点に立ち返るために学生時代を振り返ってみた。そういえば、中学高校大学社会人と指導をきちんと受けた記憶があまりない。なぜならば、持って生まれた才能で、指導を受けずとも他のチームメイトより上手くできてしまっていたからだ。それは石毛だけに限らず、七〇年代のプロ野球選手は、各々が持っている才能、センス、感性だけで投げたり打ったりしていた。それこそ遊びの延長で野球をやっているのが普通だったからだ。 若いうちは体力があるから自己流でも四、五年はできるけれども、所詮自己流では長続きしないというのが広岡監督の考えだ。頭でわかっていても体で覚えないと、人間は進化していかない。石毛は何とか理解しようと、広岡の教えを全身全霊で吸収しようとした――。 (次回へ続く)
1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て2009年8月より沖縄在住。最新刊は『92歳、広岡達朗の正体』。著書に『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。

92歳、広岡達朗の正体92歳、広岡達朗の正体

嫌われた“球界の最長老”が遺したかったものとは――。


確執と信念 スジを通した男たち確執と信念 スジを通した男たち

昭和のプロ野球界を彩った男たちの“信念”と“生き様”を追った渾身の1冊

1
2
おすすめ記事
ハッシュタグ