更新日:2024年04月05日 18:32
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「僕のなかで名将、知将と呼べるのは広岡達朗しかいない」常勝西武のチームリーダー石毛宏典が語る広岡野球の真髄

「僕のなかで名将、知将と呼べるのは広岡達朗しかいない」

石毛は、この日本シリーズ第三戦で負傷しながらも最後まで強行出場したのは、広岡のもとで四年間野球したなかでも印象的な出来事のひとつだと語る。普通なら怪我のため交代し、翌日の日本シリーズも欠場となったかもしれない。 でも広岡の迫力に負けたというか「出れるんなら出ろ!」といった具合に背中を思い切り叩いて奮い立たせてプレーできたことに、ある種の感激もある。いわば精神力次第で不可能も可能になることもあるんだと教えられた石毛であった。現在の石毛はこう語る。 「広岡さん自身が根気よくいろいろと基礎中の基礎を指導してくれたおかげで、八度のベストナイン、一〇度のゴールデングラブ賞を受賞して四〇歳まで現役を続けられました。 あの頃基礎を学んでいなかったら、広岡さんの言うように三〇過ぎで引退していたかもし れません。間違いなく広岡さんのおかげです。結局、広岡さんが弱いヤクルトを、弱い西武を勝たせたじゃないですか。だから僕のなかで名将、知将と呼べるのは広岡達朗しかいないんです。野村さんはヤクルトは勝たせたけど、阪神、楽天では勝てなかった。森さんも西武で勝ったけど、ベイスターズでは勝てなかったですから。 プロ野球チームという技術屋集団において、技術屋をまとめるリーダー(監督)には『技術はこうすれば高くなるんだよ』という指導理論が備わっていることがまず必須。さらに、どんな相手でも納得させるだけの絶対的な理論を持つことが、リーダーの資質とし て最も重要な部分だと思うんですよ。 それまで『プロの二軍選手は未熟だから練習しなきゃいけない』『プロの一軍選手は完 成された選手だからマネジメント的なものだけでいい』と言われてきましたけど、広岡さ んは一軍だってヘタなやつがいっぱいいると高らかに言っていました。そりゃそうですよ、誰も四割も打ったことないプロ野球界。まだまだ未熟者ばかりです。どうすればスキルアップできるか。広岡さんはヤクルトでも西武でも、選手個人をしっかりスキルアップさせ、二割五分の人間を二割七分、二割七分の人間を三割近く打てるようにしてチーム力を上げていったんですから」 今でこそ、1アウト二塁だったら右方向に打ってツーアウトランナー三塁にする有効凡打や自己犠牲という単語が当たり前に評価される。しかし、八〇年代に入るまでのプロ野球には有効凡打、自己犠牲という概念など浸透していなかった。そんな時代に、真理に基づき、チーム組織で戦うための選手を強化・コントロールしていく野球を実践したのは、広岡達朗が初めてではなかろうか。 「今の野球界を見ても、アマチュアからプロまでの野球観の向上っていうのかな、日本の 野球観をレベルアップさせたのは、僕は広岡達朗と思ってますけどね」 石毛はそう断言する。 (次回へ続く)
1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て2009年8月より沖縄在住。最新刊は『92歳、広岡達朗の正体』。著書に『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。

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