更新日:2024年04月20日 15:38
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“銀座のホステス兼女医”が語った過去。いじめられた学生時代、美容整形に400万…医師の肩書なんて「どうでもいい」

「親から逃げるため」東大を目指す

 生きる意味だったヴァイオリンを取り上げられた鷹見氏に、新たな目標など何もなかった。 「当時のことはあまり思い出せませんが、『味方が一人もいない』と思って生きていたのは覚えています。普通、どんなに悲惨な物語でもひとりくらいは味方がいるじゃないですか。『私の人生の方がひどい』とずっと思っていました」  力なく笑う鷹見氏の表情から、当時の八方塞がりな状況が読み取れる。希望する大学への進学というよりも、親から逃げるため、鷹見氏は東京大学を目指した。 「現役のときは東大理Ⅱを受験しました。それまでほとんど勉強したことがなく、一夜漬けのスキルしかないため、落ちました」  とはいえ僅差まで迫った鷹見氏は、東大がじゅうぶん射程圏内にあることを知った。浪人時代は“監獄”などと揶揄されるほど厳しい予備校の寮に入った。 「いろいろな人が『厳しい』と恐れていた予備校でしたが、毎日怒鳴られていた私にとっては快適な空間でした。理不尽な暴力もありませんし」

研修医になるものの、うつ病が悪化して…

 予備校時代に医学部へ進路を変更した鷹見氏は、東大理Ⅲにこそ嫌われたものの、東京医科歯科大学へ合格。晴れて上京することになった。 「娯楽を知らずに生きてきたので、独り暮らしはすべてが新鮮でした。これまでヴァイオリンに全部を注いできた反動でしょうか、とにかく意味のないものに時間を注ぎたくなってしまったんです。特にオンラインゲームにはハマりました。マイナーゲームではありますが、ワールドランキングに名を連ねるまでやり込みました(笑)」  実家暮らし時代の抑圧路線から解放された鷹見氏は、節目節目でこうした意図的かつ計画的な寄り道に、あえて没頭した。だが根底にくすぶったヴァイオリンへの未練を打ち消すには至らなかった。 「正直、ヴァイオリンから離れたとしても、いずれは戻ってこられると信じていました。しかし月日が経ち、医学部の6年間が終わり、国家試験にも受かってしまうと、進みだしたレールを逆戻りすることはもうないんだとわかってきてしまったんです」  二度と自分がヴァイオリンでプロになる世界線はない。そう自覚し、現実に向き合うのは鷹見氏にとってこの上ない苦痛だった。そのことがどれほど関わる不明だが、鷹見氏は研修医になったころ、うつ病を発症して入院を余儀なくされる。 「当時の私は出勤しても疲れて病院のソファーで寝てしまうほどでした。そのうち歩くことも難しくなり、車椅子で精神科病院を訪れ、任意での入院をしようとしたところ、身体を拘束されて医療保護入院となりました。あとから聞いた話では、父が入院の同意書にサインしていたというのです」
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ホステスとして働くようになった背景にも、“家庭の方針”が
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ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki

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