仕事

37歳女性が目指す“寿司職人”の新境地。子育てとの両立は大変でも「子供の存在がパワーに」

生粋の寿司職人から学んだ「覚悟」と「流儀」

岩井瑞帆 寿司職人の見習いとして、岩井さんが任されたのが「手子(テコ)」の仕事。  カウンターの前菜や器物をセットしたり、お客様へのお土産を準備したりと、寿司職人をサポートする役目を担うポジションである。  そんななか、入社後3日目に親方から「カウンターに立ってくれ」といきなり言われたそう。寿司職人を長年続ける先輩と、同じ空間に身を寄せることになった岩井さんは「かなりの“圧”を感じた」と振り返る。  ある日、最も怖いと思っていた先輩と2人きりに……。 「それで、お前はいつ辞めるの?」  先輩の言葉にはっぱをかけられた岩井さんは、負けず嫌いな性格ゆえに「辞めません!」とキッパリ言い放ち、“絶対に寿司職人になる”と本気のスイッチが入ったという。 「怖いと引け目を感じていた先輩が、いちばん教えてくれましたね。心に響いたのが『文句言われたくないなら、言われないような仕事をしろ』という言葉でした。やるべきことをきっちりする。与えられた仕事のプロフェッショナルになる。  つまり、手子の仕事もろくにできない自分が、先輩から握りやさばきを教えてもらうこと自体、筋が通っていないわけです。だからこそ、血の滲むような努力をしないといけないと思いましたし、まずは目の前の仕事を完璧にこなすことを意識しました」

おしゃれは我慢し、体力勝負の毎日。女性ならではの苦労を乗り越えて

 休日も練習用の魚とシャリで寿司を握る練習を重ね、一人前の寿司職人を目指した岩井さん。どんなに辛いこと、悩むことがあっても、尊敬する先輩から助言をもらい、常にモチベーションの維持を心がけていたそうだ。  だが、寿司職人を目指す上で、“女性ならでは”の苦労があった。いかにして乗り越え、寿司職人としての腕前を磨いていったのか。 「女性なら誰だって楽しみたいはずの髪の毛やネイルといった“おしゃれ”は我慢する必要があると思いますね。ハワイが好きだった頃の自分と、今の自分では全く雰囲気が違うんですよ(笑)。また、女性は体調が変わりやすく、生理のときは長時間働くのが辛かったですね。立ち仕事や階段の上り下りなど、本当に体力が必要で、慣れるまでは苦労しました。  あとは仕事と子育ての両立も大変です。寿司職人は仕事柄、例えば子供が急に熱を出したときには休みづらい。子育てに対して職場の理解が必要なわけですが、銀座おのでらには育休制度が充実していて、私はその制度を活用していました」  岩井さんは、寿司職人の仕事においても「子供の存在がパワーになっている」と話す。  育休制度が終わる頃、「銀座おのでら」運営元の(株)ONODERAフードサービスの社長から「立喰いスタイルのお店に立てば、ファンが必ずつく」と勧められ、岩井さんは表参道の「立喰鮨 銀座おのでら」で働くことになった。
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“女性寿司職人”のロールモデルを目指して…
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1986年生まれ。立教大卒。ビジネス、旅行、イベント、カルチャーなど興味関心の湧く分野を中心に執筆活動を行う。社会のA面B面、メジャーからアンダーまで足を運び、現場で知ることを大切にしている

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