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全盲の22歳シンガー、幼少期の“音育”に関心を示して「(美空)ひばりさんの歌に心奪われました」

東日本大震災が起きた10歳で曲を自作

佐藤ひらり ますます歌うことが楽しくなっていた10歳のとき、東日本大震災が起こる。このとき、初めて自分で作品をつくった。書くまでもないが、2011年のことだ。 ――この作品がファーストシングル『みらい』? ひらり:はい。テレビとラジオが伝える音声によって、被災地が想像もつかないような状況になっていることが分かり、その後、いろいろな方が復興に向けた作品をつくり始めたことを知って、私も何かできないかと思い、つくったんです。 ――曲づくりの方法は知っていたんですか? ひらり:いいえ、作詞も作曲も分かりませんでしたから、旋律や言葉が思い浮かぶたび、母親に記録してもらったんです。それを何度も直しました。何か出来ないかという思いだけでやりました。 ♪心の目を開いたら 明るい未来が待ってるから 過去、現在、未来 みんな歩いてゆけるよ――『みらい』に2度に渡って登場するサビのフレーズだ。 ひらり:まず、過去、現在、未来という言葉が浮かびました。これまでも今も、この先も、必ず繋がっていると思ったんです。

東京パラ五輪で国家を独唱

 ひたすら被災者を励ます内容だった。それが被災者でなくても胸を打たれると評判になる。CD化されると、その収益は震災遺児に寄附された。  12歳だった2013年には米国ニューヨークの「アポロシアター」での音楽イベント「アマチュア・ナイト」に挑戦し、ウィークリー・チャンピオンを獲得。20歳だった2021年の「東京2020パラリンピック」開会式で国歌を独唱したのは記憶に新しい。 ――パラリンピックで国歌を歌うことが夢だったそうですね? ひらり:東京での開催が決まった2013年から、ずっとそうでした。あの場で歌うことはそれまで私を支えてくれた人、応援してくれた人への恩返しになると思ったものですから。  障がいを持つシンガーは数多いので、簡単にかなう夢ではなかった。しかし、絵美さんの教育方針もあり、ひらりはこの夢をあえて公言する。夢を常に意識したほうが、自分の成長にプラスになると考えているからだ。 ひらり:オーディションがあり、ほかにも有力な方がいたのですが、最終審査当日の歌によって、満場一致で私に決まったそうです。  歌った曲はやはり『アメイジング・グレイス』だった。  開会式はコロナ禍によって無観客だったものの、各国の記者たちから大きな拍手が起こる。式をテレビで観ていたXのユーザーからも賞賛の言葉が相次いだ。 「これまで聞いたどの声より凄くきれいな声!」(2021年8月24日、@Nana01sp)、「全盲でもこんなに素晴らしい歌手がいらっしゃるなんて、日本のエンターテイメントの実力を世界に見せられましたね」(同26日@Hu2XErDcx4cF4RC)。
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テクニックよりも心を込めて
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放送コラムニスト/ジャーナリスト 1964年生まれ。スポーツニッポン新聞の文化部専門委員(放送記者クラブ)、「サンデー毎日」編集次長などを経て2019年に独立。放送批評誌「GALAC」前編集委員

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