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全盲の22歳シンガー、幼少期の“音育”に関心を示して「(美空)ひばりさんの歌に心奪われました」

テクニックよりも心を込めて

――式で歌っているとき、どんな心境でした? ひらり:日本の大切な歌をうたわせていただいたので、珍しく緊張しちゃいました。 ――ほとんど息継ぎせず、一気に歌い上げたことが評判になりました。肺活量が凄い? ひらり:いいえ、それほどでも。分からないように息継ぎをちゃんとしていました(笑)。それと、松任谷由実さんのピアノなどを担当なさっている作曲家で編曲家の武部聡志さんがピアノ伴奏をしてくださったのですが、私が歌いやすいように弾いてくださったんです。  開会式後のSNS上には「涙が止まらなかった」という言葉も並んだ。ひらりのコンサートに行くと、やはりハンカチで目頭を押さえている観客が目に付く。 ひらり:私はテクニックとかを固めるのが苦手なので、心をしっかり込めて歌おうと思っています。だから伴奏をお願いする方に「リハーサルと雰囲気が違ったね」と言われるくらいなんです。

スティービー・ワンダーのような存在に

――次の目標は何ですか? ひらり:スティービー・ワンダーさんのような存在になりたいですね。スティービー・ワンダーさんやレイ・チャールズさんの歌を聴き、「この人は目が見えないんだな」って意識する人は誰もいませんよね。私もそうなりたいんです。そうなれたら、私だからこそ言えることが増えるんじゃないかなと思っているんです。世の中には『もっと目の見えない人に相談してつくってくれたらいいのに』という建物などがたくさんありますからね。 ――スティービー・ワンダーの魅力とは? ひらり:歌がやさしさと力強さのどちらも備えているところですね。人間性にも惹かれます。スティービー・ワンダーさんは子供のとき、ご兄弟と一緒に家の屋根の上に登って遊んでいたところ、落ちてしまい、お母さんから叱られたそうなんです。そのとき、スティービー・ワンダーさんは『なんで、みんなと一緒に遊んじゃいけないんだ。目が見えないと何がいけないんだ』って、お母さんに憤りをぶつけたそうです。私もそれぐらい障がいと関係なく生きていきたいという思いを抱いています。 ――ほかにもやりたいことはありますか。 ひらり:小さいころ、目が見えないから行けない場所がありました。だから、誰もが集まれる場所をいつか自分でつくりたいと思っています。ネット配信やラジオもやりたいですね。 ――歌う目的は? ひらり:やはり5歳のときにおじいちゃん、おばあちゃんからいただいた「ありがとう」が嬉しかったからですね。それによって、音楽は私の体の一部になり、なくてはならないものになりました。 ◇佐藤ひらり 2001年5月28日、新潟県三条市生まれ。筑波大学附属視覚特別支援学校の高等部に入学と同時に三条市から上京。2024年3月、武蔵野音大総合音楽学科作曲コース卒。イタリアでの単独コンサートやネパールでの復興支援コンサートなどにも出演。これまでにリリースしたCDは『expect』などシングル2枚、『こころのうた』などアルバム2枚
放送コラムニスト/ジャーナリスト 1964年生まれ。スポーツニッポン新聞の文化部専門委員(放送記者クラブ)、「サンデー毎日」編集次長などを経て2019年に独立。放送批評誌「GALAC」前編集委員
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