お金

借金200万円を抱えてパチプロになった48歳。ライバルがいない“パチンコ過疎地域”で打ち続けた結果…

フリー転身後にバーの店員を始めることに

バーテンダー だが、捨てる神あれば拾う神あり。フリーライターになった岡本さんに「一緒にバーをやらないか」という誘いがあったという。 「よく行く飲み屋で『オレ、フリーになったからなんでもやりまーす!』って酔って話してたら、常連の方でテレビの構成作家やってるAさんという方から『バーを出したいから、手伝ってくんない?』って。ライターやりながらバーで働ければ、固定給も入るし飲食のバイトは大学時代にやっていたので渡りに船でした」  こうして岡本さんは夜はバーで働き、昼はライターという二足のわらじを履くことになった。だが、この誘いは地獄の入り口の扉を開くことになる。 「週に2〜3日出て月に15万円。ライター仕事も古巣のパチンコ・パチスロ雑誌と、細々ですが一般情報誌の仕事も入ってきて、バーのお金と合わせて月に30万〜40万円はありました。20代半ばの駆け出しのライターでそんなに仕事もない身としては、合格点の稼ぎだったと思います。でも順調だったのは最初だけ。半年くらいするとAさんからの給料の支払いが滞り始めたんです」

オーナーが逃亡して借金を背負う

 それでも半月遅れだったり、翌月にまとめて……といった形でお金は支払われていたのだが、次第に仕入れのお金の立て替えなども岡本さんに無心するようになっていった。もちろん、岡本さんもおかしいとは思っていたのだが、バーの仕事が楽しくてうやむやになっていったという。 「最後の方は仕入れや家賃も肩代わりするようになったんですが、バーの仕事が楽しくて、なんならお店をもらってそのままバーをやっていこうと思ったくらいです(笑)。でも、そう甘くはいかないわけで、借金まみれだったAさんはある日とんずらしまして……。店には得体の知れない連中が取り立てに来るようになりました。店の大家さんも交えて話したんですが、結局店を続けることはできず、私にはクレジットカードや消費者金融からの200万円近い借金だけが残ったんです」
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パチプロとして「ライバルのいない店」で立ち回ることに
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グルメ、カルチャー、ギャンブルまで、面白いと思ったらとことん突っ走って取材するフットワークの軽さが売り。業界紙、週刊誌を経て、気がつけば今に至る40代ライター

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