お金

借金200万円を抱えてパチプロになった48歳。ライバルがいない“パチンコ過疎地域”で打ち続けた結果…

ライバルがいない店を探して辿り着いた不毛の地

パチンコ バーの仕事に重きを置いたため、末期はライター仕事で月に数万円程度しか稼ぎはなかった。そんな折、古巣のパチンコ・パチスロ雑誌をたまたま手にしたことで岡本さんはハタと閃く。「オレ、一応はパチンコ・パチスロ雑誌で立ち回りの知識はあるし、時間は無限にあるからパチンコ・パチスロで稼ごう」と……。 「そこで店選びから始めたのですが、そもそも朝早くから並んで打つのは夜型なので無理。できるだけライバルのいない店を探していったところ、家から比較的近い下北沢と経堂、下高井戸で店を探しました。当時を知っているプロからしたら『出ない地域で何をバカな……』と思われるでしょうけど(笑)」

下北沢の2店舗を狙うも…

 そして岡本さんは、最終的に下北沢の某チェーン系ホールA店とB店の2軒を中心に立ち回ることにした。 「下北沢は若者の街と言われていて、大学生や演劇、バンドの人間はたくさんいたのですが、パチンコ・パチスロは出ない街というのが当時の認識だったと思います。人は多いのでどこのホールも稼働率は高かったんですが、出玉状況はあまり芳しくなく、常連はいてもプロはいませんでした」  だが案の定、そこは“プロが敬遠する地域”。出玉状況も芳しくなく、種銭の20万円はあっという間に底をつきそうになり……。そして岡本さんの人生は、ここからさらに大きく変わっていくことになる。 取材・文/谷本ススム
グルメ、カルチャー、ギャンブルまで、面白いと思ったらとことん突っ走って取材するフットワークの軽さが売り。業界紙、週刊誌を経て、気がつけば今に至る40代ライター
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