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「産んだことを後悔している」両親から虐待を受け続けた女性の半生。現在は「加害者を気にしている時間などない」

母に加え、教師からも冷たい扱いを受ける

 だが逃れ辿り着いた先でさらなる辛酸を舐めることになる。   「一番印象に残っているのは、障害を打ち明けた友人に“ハブ”にされたことですね。一瞬にしてひとりになった私は、その日以降3年間、毎日教室の真ん中でひとりでお弁当を食べました。母に相談しましたが、『甘えるんじゃない』と一喝されました。私の記憶では、当時の母は不倫をしていて、私のことなど見ていなかったんです。『やっぱり母は助けてくれないんだ』と悲しかったですね。担任はもともと私を相手にしていないような人で、相談しても『もう小学生じゃないんだから、自分で解決しなさい』となしのつぶてでした」    さらに体育の授業では屈辱的な思いをすることになる。   「裸足になって踊るダンスがありました。私は足の指も欠損しているため、それを全校生徒に知られるのが嫌で、体育の担当教諭に相談しました。しかし『あなただけが靴下を履いていたら、逆に目立つ』と言われて学年全員の前で裸足で踊ることを強要されました。ちなみに当時のダンスに使われていた曲は麻倉未稀 さんの『What a feeling〜Frashdance〜』でした。つい昨年、私は乳がんを患い、手術前にその麻倉さんとSNSでつながることができました。当時は苦しい思い出だったその曲が、私の生きる勇気に変わったことは面白い因果だなと思います」

大学合格を機に母の態度が大きく変わるも…

 潮目が変わったのは、高校入学だったという。   「二度といじめにあいたくないと思い、中学卒業から高校入学までの間に8キロダイエットをしたんです。それから、勉強をかなり頑張って成績が急上昇しました。それによって特進コースという、学内では一目置かれたクラスに所属することになりました。すると、これまで私を軽んじてきた中学時代の加害者も好意的になり、そればかりか教師も手のひらを返したように態度が軟化しました。件の体育の授業におけるダンスも、私の一言でクラス全員が靴の着用を認められました。気分がよくなるというより、人間の醜さを知ったような気がしました」    だが実のところ、最も手のひらを返したのは母親だ。   「勉強の甲斐があって大学へ合格することができました。すると、“恥ずかしい子”だった私はこれまで一度も親戚の集まりに連れて行ってもらったことはありませんでしたが、急に母は鼻高々で連れ回すようになりました。そのあたりから、母は私と風呂に入ることを強要するようになったのです。そればかりか、『教えてあげる』と言って胸や股を触ってきたりするようになりました」  
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バイト先の社長から「真ん中に寝るよう指示され…」
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ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki

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