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「産んだことを後悔している」両親から虐待を受け続けた女性の半生。現在は「加害者を気にしている時間などない」

バイト先の社長から「真ん中に寝るよう指示され…」

 徹底した無関心から、異常性を帯びた過干渉へ豹変した母親。対応が変わっても、manaさんの奥底に根付いた考え方は何も変わっていない。だからこそ、こんな被害にも遭った。   「私の根本は、両親に対する従属です。くわえて、自分には愛される価値がないという考え方がこびりついていたんです。だから、関わる人から搾取される日々でした。  たとえば母の紹介で入ったバイト先では、社長から性的被害に遭いました。社長夫人から誘われて自宅に行ってみると、終電まで飲まされたんです。寝室には3枚の布団がすでに敷かれていて、私は真ん中に寝るよう指示されました。最初は社長が布団に入ってきて、あとから社長夫人も私の身体を触ったり、写真を撮影したりし始めました。あとから聞いた話ですが、2人はそうした性癖のある夫婦だったようなのです」    この一件でmanaさんが抱えた感情は意外なものだ。   「人と違う形で生まれた私は、『こんなことがあっても誰も助けてはくれない。やめてと泣いてもあざ笑われるだけだ。私はどうして生きていなきゃいけないんだろう』と思いました。悲しく思う反面、幼いときから周りからそうした扱いを受けてきたので、耐えることしかできなかったんです」

虐待について「証拠があるなら出せ」と主張

   manaさんは現在、夫と2人の子どもと暮らす。そうした思考回路から解放してくれたのは、間違いなく夫だったと彼女は語る。   「人と違って生まれても、そのままの私を見て愛してくれる。私が死にたいと泣いてもずっと隣で私を助け続けてくれた。大変な経験をしてやっとの思いで家庭が築けた私は、親の愛情がいかに大切かを身をもって知っているので、それを自らの子育てに活かしてきたつもりです」    現在、manaさんの両親との関係はこんなふうになっている。   「節目で会う機会がありましたが、母は私に対する虐待を認めないですね。『証拠があるなら出せ』と言っています。虐待の事実は年月が経過してから自覚することが大半で、証拠を提示できる場合のほうが少ないはずです。それをわかっていながら、彼女はそう主張するんです。また、私が大学時代に性的被害に遭ったことをわざわざ子どもの前で話し、『あなたは当時、心療内科で処方された薬を飲んでいたから、記憶が錯乱している』という趣旨の蔑みを行ったりします。こうした態度には、私の家族も呆れていました。何を話しても平行線なので、今は事実上の絶縁状態です」  
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加害者を気にしている時間などない
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ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki

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