更新日:2024年11月23日 09:32
エンタメ

純烈、デビュー15年で初の武道館へ。「俺は3年前に勝手に決めてた」酒井一圭が語る想い

6年前、ファンの色紙に書いた言葉

 結成15年目に、武道館に到達――こう書くと聞こえはいいが、純烈はそれをゴールにやってきたわけではなかった。「俺たちのようなグループが紅白に出られたらおもろいよねという、ふわふわした話でしかなくて、アーティストとしてあの大きな会場に立ちたいみたいな欲求はまったくなかった」と酒井は言う。  ただ、本人も気づかぬところで、潜在的にその三文字は息づいていたのだろう。先日、2018年の紅白初出場が決まった直後に渡したサイン色紙を持ってきたファンと再会。そこには、ハッキリと「次は日本武道館」と自分の筆跡で記されてあった。

ドリンクを取材陣にすすめながら話す酒井

「武道館よりも後楽園ホールのほうがキツかったし面白かった」

 プロレスラーだったころ、酒井は日本武道館を経験している(DDT2012年8月12日)。ただ、その時も特別な感慨はなかった。 「なぜかというと、武道館よりも後楽園ホールでやった時のほうがキツかったし面白かったし、ヘビーだったから。主催者でなければ、俺なんてレスラーもどきのようなものだもん、特別にいい景色が見られたとかではなかった。今の時点では、純烈として眺める武道館の景色がどんなものかも想像つかないし、紅白と同じくもう一回ここでやりたいと思うかどうかは、終わってみなければ……だよね。  でも、メンバーや会社は違うと思うよ。みんな、いつもより髪の毛跳ねるだろうし、事務所もメイクさんを入れましょうって言うと思う。3人の中では後上(翔太)が一番盛り上がっているんじゃないかな。あいつ、大学(東京理科大)の入学式が武道館だったから。岩永は見にいったこともないらしくて、武道館初体験が出演という」 純烈魂 武道館 大会場進出が目標ではなかった純烈が日本武道館公演をやる最大の理由は、すでにアナウンスされた通り、「ファンが一緒になって喜べる場」であること。同時に、これまで世話になった周囲の人々に対する思いもこめられている。
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リハーサルはわずか4日
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(すずきけん)――’66年、東京都葛飾区亀有出身。’88年9月~’09年9月までアルバイト時代から数え21年間、ベースボール・マガジン社に在籍し『週刊プロレス』編集次長及び同誌携帯サイト『週刊プロレスmobile』編集長を務める。退社後はフリー編集ライターとしてプロレスに限らず音楽、演劇、映画などで執筆。50団体以上のプロレス中継の実況・解説をする。酒井一圭とはマッスルのテレビ中継解説を務めたことから知り合い、マッスル休止後も出演舞台のレビューを執筆。今回のマッスル再開時にもコラムを寄稿している。Twitter@yaroutxtfacebook「Kensuzukitxt」 blog「KEN筆.txt」。著書『白と黒とハッピー~純烈物語』『純烈物語 20-21』が発売

純烈物語 20-21

「濃厚接触アイドル解散の危機!?」エンタメ界を揺るがしている「コロナ禍」。20年末、3年連続3度目の紅白歌合戦出場を果たした、スーパー銭湯アイドル「純烈」はいかにコロナと戦い、それを乗り越えてきたのか。

白と黒とハッピー~純烈物語

なぜ純烈は復活できたのか?波乱万丈、結成から2度目の紅白まで。今こそ明かされる「純烈物語」。

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