更新日:2024年11月23日 09:32
エンタメ

純烈、デビュー15年で初の武道館へ。「俺は3年前に勝手に決めてた」酒井一圭が語る想い

デビュー15年目にして初のオリジナルアルバムを出す理由

 姿勢そのものは変わらずとも、提供するのは特別感のある作品にしたい。デビュー15年目というタイミングで初のオリジナルアルバム『純烈魂 1』をリリースしたのも、そこにつながっている。 「武道館でやるからには既存の曲だけ歌うんじゃつまらんなと。純烈の懐メロを歌うだけってなるのが嫌なのと、あのハコで鳴らすに見合う楽曲が少ないと思った。それで作家陣には、武道館でやるのを前提にオーダーしました。  今までオリジナルアルバムを作らなかった件に関して言えば……純烈には俺と小田井さんという2人のクリエイターがいたんです。その中で作ると小田井さんの色も入れることになって、自分の色が50%ぐらいになる。つまり、俺自身のやりたい形とズレが生じる。それを純烈の枠の中でやると軋轢を生むだけだから、小田井さんがいる間は出さないほうがいい。お互いが不完全燃焼にならないためにね」

小田井がいたからオリジナルアルバムは出さなかった

 これはネガティブな話として受け取ってほしくないんだけどと、酒井はつけ加えた。小田井在籍時だったらオリジナルアルバムは出さず、日本武道館進出もなかったかもしれない。  世間的にはグループのキャラクターから、いいトシしたオッサンたちが中学生のようにじゃれ合っているかのごとく見えるだろうが、純烈というプロジェクトは一筋縄でいかない。それは、エンターテインメントを提供する立場の宿命でもある。  エンターテインメントとしてのベストを模索し、そこにしか答えは見いだせない。小田井涼平にとっての“いい形”にこだわり、卒業ロードを描ききったのは、プロデューサー・酒井一圭の最高傑作だったと、今でも思う。
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「秘策を用意してる」とニヤリ
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(すずきけん)――’66年、東京都葛飾区亀有出身。’88年9月~’09年9月までアルバイト時代から数え21年間、ベースボール・マガジン社に在籍し『週刊プロレス』編集次長及び同誌携帯サイト『週刊プロレスmobile』編集長を務める。退社後はフリー編集ライターとしてプロレスに限らず音楽、演劇、映画などで執筆。50団体以上のプロレス中継の実況・解説をする。酒井一圭とはマッスルのテレビ中継解説を務めたことから知り合い、マッスル休止後も出演舞台のレビューを執筆。今回のマッスル再開時にもコラムを寄稿している。Twitter@yaroutxtfacebook「Kensuzukitxt」 blog「KEN筆.txt」。著書『白と黒とハッピー~純烈物語』『純烈物語 20-21』が発売

純烈物語 20-21

「濃厚接触アイドル解散の危機!?」エンタメ界を揺るがしている「コロナ禍」。20年末、3年連続3度目の紅白歌合戦出場を果たした、スーパー銭湯アイドル「純烈」はいかにコロナと戦い、それを乗り越えてきたのか。

白と黒とハッピー~純烈物語

なぜ純烈は復活できたのか?波乱万丈、結成から2度目の紅白まで。今こそ明かされる「純烈物語」。

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