更新日:2024年11月23日 09:32
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純烈、デビュー15年で初の武道館へ。「俺は3年前に勝手に決めてた」酒井一圭が語る想い

「純烈にカネ払って見るほうが狂ってるやろ!」

 普段、酒井は友人・知人を純烈のコンサートへ誘おうとはしない。ただ今回に関してはスケジュールに忙殺される中で、マメにLINEを入れている。 「純烈にカネ払って見るほうが狂ってるやろ!って思いながらやってきたわけだけど、それをみんなの力で値がつくものにしてもらってきた。武道館は、関係者席のあちこちで久しぶり!ってなってもらって、社交場にしてほしいんですよ。だから、自分たちはあくまでも普段着で、お客さんと今まで関わってきた人たちには祭りの場。そういう位置づけだね」

リハーサルはわずか4日

 当日は、歌だけでなくササダンゴ脚本によるストーリー仕立てのステージとなるが、リハーサルはわずか4日。武道館規模としては異例と言っていい。  だが、普段着であればそれで成り立つ。大きな舞台といってプレミアムなクリエイターを入れるのではなく、小池、ササダンゴ、今林という座組で臨む。 「ササダンゴに関しては、純烈を始める前の約束があって。プロレスの世界で携わるなか、俺がいつかドデカいところでやる時はこいつやなって思って、20年かけて現実になるんです。小池さんもずっとコンサートの演出をやってきてもらったし、今林さんはマッスル(ササダンゴが主宰していたプロレス興行)で一緒になってデビュー時から純烈に力を貸してくれた」

「人に恵まれている。自分の才能じゃない」

「人に恵まれているんですよね。自分の才能じゃないですよ、これは。本当に出逢いとか、その人のいい角度で俺と向き合ってくれる人たちが、すごくやさしいっていうか。そういう人たちだから、リハーサルでも勘どころがわかっていて、スムーズにいくしね」  雑談レベルの約束を20年経っても忘れず形にするのは、契約を交わすよりも尊いことだと思う。本当に、人とのつながりを大切にし、それを原動力としてきた純烈らしい武道館への向き合い方だとわかるはずだ。
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デビュー15年目にして初のオリジナルアルバムを出す理由
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(すずきけん)――’66年、東京都葛飾区亀有出身。’88年9月~’09年9月までアルバイト時代から数え21年間、ベースボール・マガジン社に在籍し『週刊プロレス』編集次長及び同誌携帯サイト『週刊プロレスmobile』編集長を務める。退社後はフリー編集ライターとしてプロレスに限らず音楽、演劇、映画などで執筆。50団体以上のプロレス中継の実況・解説をする。酒井一圭とはマッスルのテレビ中継解説を務めたことから知り合い、マッスル休止後も出演舞台のレビューを執筆。今回のマッスル再開時にもコラムを寄稿している。Twitter@yaroutxtfacebook「Kensuzukitxt」 blog「KEN筆.txt」。著書『白と黒とハッピー~純烈物語』『純烈物語 20-21』が発売

純烈物語 20-21

「濃厚接触アイドル解散の危機!?」エンタメ界を揺るがしている「コロナ禍」。20年末、3年連続3度目の紅白歌合戦出場を果たした、スーパー銭湯アイドル「純烈」はいかにコロナと戦い、それを乗り越えてきたのか。

白と黒とハッピー~純烈物語

なぜ純烈は復活できたのか?波乱万丈、結成から2度目の紅白まで。今こそ明かされる「純烈物語」。

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