更新日:2025年06月26日 14:24
エンタメ

「10歳で東京の7LDKでひとり暮らし」 『バチェラー』司会の坂東工(47)が“寂しかった”子ども時代を回想

 人気恋愛リアリティショー『バチェラー・ジャパン』『バチェロレッテ・ジャパン』において、司会進行役としてその存在感を示す俳優の坂東工さん(47歳)。今年、俳優として活動して、四半世紀を迎える。一方で、レザーアーティストや画家としても活躍の場を広げるなど、その多才ぶりに注目が集まる。  今回のインタビューでは、俳優として生きるまでの道程を本人の口から語ってもらった。
坂東工さん

坂東工さん

10歳でひとり暮らし、しかも「7LDKの家」で

――俳優としてはハリウッド映画である『硫黄島からの手紙』(クリント・イーストウッド監督)などに出演し、『バチェラー・ジャパン』『バチェロレッテ・ジャパン』でもその顔を知られる坂東さんですが、随分早くからひとり暮らしをされていたと伺いました。 坂東工:そうなんです。私が幼い頃、日本は景気がよく、活気のある面白い時代だったと思います。具体的に言うと、「家庭を顧みないで稼ぐ」みたいなことが今よりも許容されていた時代だったんです。父は大手芸能系企業に勤めるサラリーマンで、非常に仕事のできる人でした。しかし仕事ができる一方で、たぶん人間関係がそこまで上手ではなくて、次第に疎まれていったようです。結果的に、父は会社を解雇されてしまいました。  母はその昔、アナウンサーをしていたらしいのですが、結婚・出産・子育てがあって長い間、主婦をしていました。父が会社を解雇されたあとは、その母が父に代わって家計を支えることに。母はまず事業を興したのですが、この事業がうまく軌道に乗ると、家庭内での父と母のパワーバランスが崩れてしまい……。打ちひしがれたせいもあってか、父は暴力を振るうようになりました。やがて2人はうまくいかなくなり、母は兄、姉と私を連れて、父から逃れるため、夜逃げ同然で引っ越しをしたんです。  そんなことがあったのが私が10歳くらいのときです。兄と姉は私と年齢が離れていましたから、大学に行ったり留学したりして、次々に家を離れていって、母も複数にわたる事業所を経営していたので、あまり家に帰らなくなりました。そんな経緯で、私は東京にある7LDKでひとり暮らしをすることになったんです。

最初のうちは楽しかったが…

――10歳で東京の7LDKでひとり暮らしというのは、情報が多すぎてどこから伺っていいのかわからないのですが……。その家というのは、ご両親が持っている物件だったのでしょうか。あと単純に広すぎませんか? 坂東工:ですよね(笑)。母が勤めていた会社が購入した、いわゆる投資用物件だったようですね。かなり広かったですよ。トイレも3つあって、お風呂も2つあったので、最初のうちは楽しかったんです。「今日はこっちのお風呂入ろう」とか、探検気分というんでしょうか。でもだんだん、そんな広い家にたったひとりで寝起きしないといけないのは淋しくなってしまいました。母は仕事が忙しくて、月にだいたい1回くらいしか帰ってこないし。でも「淋しい」という気持ちを私はあまり母に伝えなかったような気がします。
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