“2代目バチェラー”が東京と福岡の2拠点生活を決めたワケ。小柳津林太郎「ノープランで会社を辞めた」
Amazonプライム・ビデオで人気のリアル婚活サバイバル番組『バチェラー・ジャパン』シリーズ。2023年8月3日からは、前回から約2年ぶりとなるシーズン5が配信開始され、SNS上で話題を呼んでいる。
出演者らの“恋愛の駆け引き”が描写される恋愛リアリティショーは、大きな反響を巻き起こすエンタメコンテンツとして定着していると言えるだろう。こうしたなか、『バチェラー・ジャパン』シーズン2に出演したのが、2代目バチェラーの小柳津林太郎さん。
現在は、独立して、スタートアップ支援業や社会人コミュニティの運営などに携わりながら、福岡と東京を行き来する2拠点生活を送っている。バチェラー出演から5年経った今、その心境や将来の自分探し、仕事のことなど、たっぷりと語ってもらった。
幼少期をニューヨークで過ごし、大学時代はサークルで演劇活動を行っていた小柳津さん。当時はサラリーマンに興味を持てず、新卒でサイバーエージェントに入ったのも、友人から誘われたのがきっかけだった。
「親が医者の家系で、目の前でずっと働く姿を見てきました。定年まで働き、そこから年金生活を送ることに、あまり興味を持てなかったというか。65歳で定年を迎えた後の人生がもったいないと感じていたんです。
一方、大学の演劇活動の延長で俳優を続けるにしても、一度サラリーマンになって社会人を経験してみるのもいいなと思ったので、サイバーエージェントの面接を受けてみたんです。ただ、人の印象は良さそうだけど、新進気鋭のITベンチャーとか、そういうのは全く知らなかった。何の事業をやっているかさえもわからなかったですね」
最初は広告代理店部門に配属され、2年目くらいから頭角をあらわし始める。新卒3年目には早くも子会社の代表に抜擢され、ソーシャルゲームの開発や運営の事業を任される。2013年には海外に拠点を構え、スポーツIPを使ったゲーム事業でグローバル展開に挑戦した。
「iPhoneが登場し、スマホシフトが進むにつれてソーシャルゲームが台頭して以来、ずっとゲーム業界のビジネスに携わっていました。海外拠点で社長をやっていた頃は、150人規模の会社で事業予算も2桁億円を投じるくらい、かなりの裁量を持たせてもらっていましたね。結局、クローズすることになりましたが、とても貴重な経験だったと思っています。
そこからはサイバーエージェントSGE(ゲーム・エンターテイメント事業部)の統括本部長として、グループ全体のゲーム会社におけるカルチャー醸成や協調を生み出すための業務に関わっていました」
友人の誘いでサイバーエージェントに
新卒3年目で子会社の代表に

1986年生まれ。立教大卒。ビジネス、旅行、イベント、カルチャーなど興味関心の湧く分野を中心に執筆活動を行う。社会のA面B面、メジャーからアンダーまで足を運び、現場で知ることを大切にしている
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