「残ったのは借金100万円」“サブカルトークライブ配信”に商機を見出した34歳男性が直面した、あまりに“世知辛い現実”
「阿佐ヶ谷ロフトA」というトークライブハウスで働いていた私が、コロナ禍という「特需」を追い風に独立を果たしたのは2022年の4月のことだ。配信メインなら小規模でもやっていけると見込み、配信スタジオ「TALKING BOX」を立ち上げた。
当時は小さな起業というのが脚光を浴びており、自分が生きていける程度のビジネスをして暮らそうというのが流行っていた。私のビジネスモデルもその形態だろう。
有料配信で収益を得る構造で、客席の収容人数は10人。配信が売れれば売れるだけ利益は懐に入る。当初は目論見通り好調だったのだが、コロナウイルスの扱いが「5類」に移行し、人々が街へと戻った時、待っていたのは厳しい現実だった。反動に伴い、「小さく始めて個人で稼ぐ」ことへの期待と現実のギャップが浮き彫りになってしまった。
これはコロナ禍の波に乗って起業したものの、4年間で閉店することになった元ライブハウス店員(34歳)の克明な記録である。

1995年7月、新宿富久町(のちに歌舞伎町へ移転)に一つのライブハウスが開業した。「ロフトプラスワン」。創業者の平野悠氏は、音楽ライブではなく「人が集まって喋る場所」を作ろうと考えた。
当時のテレビや新聞が絶対に扱わないテーマ、あまりに過激で表舞台に立てない人物たちが、ステージ上に集まる。右翼に左翼、元受刑者、オタクカルチャーの論客、新興宗教の元幹部まで多種多様な顔ぶれだ。
客は酒を呑みながら、壇上の演者とヤジや質疑応答でバトルを繰り広げる。こんな文化に憧れて、私は2015年4月にロフトプラスワン系列の阿佐ヶ谷ロフトAというトークライブハウスにアルバイトとして入った。主な作業は居酒屋と大差がない。料理やドリンクを作り、客へ提供する。ただ、無料でトークライブを見れる環境は魅力的だった。
アルバイト時代から企画立案や、演者の手配、動員業務に携わっていたところ、2018年に正社員に昇格、阿佐ヶ谷ロフトAのブッキング担当を任せてもらえることになった。
今までは、空き枠に自分が考えたイベントを組み込むだけだったが、1ヶ月のスケジュールを埋めて会社の利益を上げていくことに集中しなくてはならない。
これがなかなか難しく、人気著者の最新作刊行にあわせた記念イベントを打診したり、新作アニメが放送するタイミングには関係者に座談会を提案したりしていく。数ヶ月経って忘れた頃に、「イベントやりましょう」と返事をいただくことも多い。
1日に何十件もの営業メールを送り、無事イベントが決まると安堵するような日々が続いた。突然イベントが中止になって空きができた際には、お客さんが数人しかいない中、自分たちが壇上に上がってたわいのないことを話したりして、泥臭く毎日営業を続けていく。
企画を絞り出すためにサウナに通い詰める日々が続いた。サウナにいくと画期的なアイデアをひらめくような気がしていたからだ。

写真右が筆者。自ら壇上に上がることも少なくなかった
サブカルの聖地での下積み生活
サウナで企画を搾り出す泥臭い日々
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