恋愛・結婚

女性の前を歩いてリードする? それとも後ろを歩いて見守る派?――爪切男の『死にたい夜にかぎって』<第7話>

 さまざまなタクシー運転手との出会いと別れを繰り返し、その密室での刹那のやりとりから学んだことを綴ってきた連載『タクシー×ハンター』がついに書籍化。タクシー運転手とのエピソードを大幅にカットし、“新宿で唾を売る女”アスカとの同棲生活を軸にひとつの物語として再構築したのが青春私小説『死にたい夜にかぎって』である。切なくもユーモア溢れる文体で実体験を綴る“野良の偉才”爪切男(派遣社員)による新章『死にたい夜にかぎって』特別編、いよいよ開幕。これは“別れたあのコへのラブレター”だ。

爪切男の『死にたい夜にかぎって』

【第七話】尾行する二人


「私が警察に捕まったら別れていいからね」

 一緒に暮らしてもう五年になるアスカが、炊き立てご飯の上にのりたまフリカケをぶっ掛けながらつぶやいた。目の前の白飯からモワモワと立ち昇る湯気。その湯気がこれから起きるかもしれない大火事のはじまりを告げる煙に見えた。

 同棲がスタートしてすぐ、心の病により働くことが出来なくなったアスカ。私は家計を支えるために身を粉にして働き、アスカは自宅療養に専念することになった。徐々に体調を取り戻した彼女は、抗鬱剤と安定剤の服用量を減らす減薬に挑戦をはじめた。その禁断症状によって、寝ている私の首を絞めてきたり、奇声を上げて暴れ出すといったことが日常茶飯事になったこの数年間。良い意味で退屈しない毎日だったが、逮捕という物騒な話が出てきたのはこれがはじめてだった。

「何をして捕まるの? 俺のこと殺しちゃいそう?」
「そのつもりなら二年ぐらい前に殺してるよ」
「……」
「……」
「泥棒」
「違う」
「詐欺」
「私、そんなに頭良くないよ」
「詐欺は知力よりセンスが大切だと思うけど」
「死ねよ」
「食い逃げ」
「おかげさまで食には満足してる」
「外国人とバッタもんのTシャツを売る」
「もう足を洗いました」
「車の当て逃げ」
「それはあんたの親父だろ」
「……」
「……尾行なの。尾行」
「尾行?」
「この前、コンドームおじさんを尾行したでしょ? あれから他人のあとをつけるのが癖になっちゃったの」
「……どれぐらいやってるの?」
「ほとんど毎日やってる。自分じゃ止められないの。いつか捕まっちゃいそうで怖い」
「そもそも尾行って罪になるの?」
「ネットで調べたら、相手に訴えられたら軽犯罪法違反になるみたい。刑務所に入るとかはないと思うけど……」
「尾行の何が楽しいの?」
「街を歩いてたら、やけに気になる人ってたまにいるでしょ? その人がどんな場所に行くのか、どんな一日を過ごしてるのか。そういうのを知ると嬉しくなるの」
「……分からなくもないけどね。レジに並んでる時、前の人の顔と買ってる物を見て、その人の生活を想像したりするし」
「……」
「アスカ? どうしたの?」
「こんな時でも怒らないんだなって」
「他人の話はどんな話でも肯定から入れって親父に教えられたんだ」
「前科があるのに良いこと言うね」
「一度捕まってから言い出したから、警察でひどい取り調べでも受けたのかな」

 前科おじさんの話はこれぐらいにしてコンドームおじさんの話だ。私が住んでいる地域で一時期話題になった変質者の愛称である。コインランドリーにフラっと姿を見せては、利用客に向かってコンドームの束を投げつけて逃走するクレイジー野郎。もしかしたら、この世の乱れた性を憂いた上での行動かもしれないが、やっていることは迷惑この上なかった。ある日、コンドームをばらまいて逃げるおじさんに遭遇したアスカは、必死で尾行しておじさんの住処を特定した。「これで事件解決だ!」と意気揚々と警察に駆け込んだものの、まったく相手にされなかったという苦い過去がある。まさか、あれが原因で尾行癖がついてしまうとは、人生は何が転機になるか分からない。

「私と別れたくなったでしょ? 最近ずっとマンネリだしね。何もできない役立たずだし」
「別れないよ」
「……恋人が犯罪者なんて嫌じゃないの」
「爺ちゃんと親父が前科者だから慣れてるよ」
「……」
「トランプで言えば、これで犯罪者のスリーカードだね」
「あんたが一番おかしいよ」
「アスカ」
「何?」
「尾行やめますか? それとも尾行うまくなりますか?」
「……」
「やめられないなら、相手に気付かれないぐらいうまくなるしかない」
「うん」
「さぁ、二択です」
「……うまくなりたい」
「ははは」
「頑張る!」
「じゃあ修行が終わるまでは他人を尾行しないこと! いいね」
「はい!」

 優柔不断なこの子が何かを即決することは珍しい。アスカが決めたことはできるだけ叶えてやりたい。それがどんなに非常識なことでも、私は全力で応えてみせる。アスカの可愛い笑顔を見ながら、心からそう思った。

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翌日から、二人で尾行についての勉強をはじめた

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死にたい夜にかぎって

もの悲しくもユーモア溢れる文体で実体験を綴る“野良の偉才”、己の辱を晒してついにデビュー!





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