荻上チキ「集合知の精度には批判的検証が必要」
― 有名人が告白 震災で変わった「私の生き方」 【6】 ―
阪神大震災、オウム事件、9・11――。これらの出来事と今回の東日本大震災の一番の違いは“当事者感覚”の有無だろう。東京から明かりが消え、余震が続いたなか、人々は原発の情報収集に奔走したからだ。そんな状況を経て、各界著名人の価値観はどう変わったのか?
◆あくまでも平常運転
荻上チキ
おぎうえ・ちき(評論家)
自宅で仕事をしている最中、今回の大地震が発生しました。妻と子供を机の下に避難させ、即座にツイッター上で「地震でかすぎ」。自分たちは落ち着いていたものの、メディアが報じる被害状況の情報を知るにつれ、ただの震災ではなくて歴史に亀裂を走らせる事態であると、その日のうちに意識の修正をしていきました。
とはいえ、直後から今に至るまで、気持ちは平常運転。有事とはいえ、普段やっている以上のスキルは発揮できるものではない。無理な活動はしないほうがいいし、できないと感じました。経済学者が復興策を、ボランティアやNPOが現地に行って力を発揮しようと考えるように、粛々と自分ができる範囲の仕事を続けています。
ご存じのように震災後、ネット上には膨大な量の流言やチェーンメールが飛び交っていました。多くの人が不安を抱えているにもかかわらず、何が正しい情報かがわからない状態では、デマや流言が広がりやすいのは当然です。それ自体は避けようがないけれど、「情報被害」の最小化が、震災後の大きな課題であることは間違いありませんでした。しかしそんななか、震災が起きてトップギアに入ったまま戻ってこない人を数多く見かけました。ギアを入れ続けることによって現地で支援活動をする立派な方がいる一方で、トップギアに入ったまま、デマを拡散したりお祭り状態で大騒ぎしている残念な人が散見されました。多くの人がマスコミもどきになって、不慣れな情報の拡散作業をしているわけですから、ダメ情報も多く交じる。そこで、あえてデマの検索に時間を費やして、検証作業などを行いました。以前からデマ検証などはしていたので、その延長ですね。
もちろん、クリティカルなダメ情報をつぶし、すみやかに正しい情報を共有するためには、専門知を持った人たちの活動が重要。幸い、ツイッターなどを通じ、原発に関する知識などを社会的に補完する活動をする方も多く、とても心強く思いました。彼らもまた、彼らの「日常」の延長の作業を行っていたように思います。
震災を通し、社会を変えていかなくてはという思いがより強くなった部分もありますが、もともと巻いていた帯をさらにギュッと締めるような感覚。ある意味、今回は「分を知る」という経験を強くしたので、日常に戻ってからは、さらなる見直しの作業も必要だと思います。いろいろな面で。これから復興に向けてしなければならないことは数多いのですが、まずはメディアの報道の姿勢などとともに、「集合知」の精度についても、批判的検証がしっかり必要ですよね。
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