参院選を前に“漂流”する日本維新の会――ノンフィクションライター・田崎健太氏が語る【後編】
⇒【前編】中田氏は橋下氏を初めから全面的に信頼していなかった
現在話題となっている『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナ)。タイトルにある『維新漂流』は、得てして、自民党の対立軸を描けず、埋没しかかった現在の日本維新の会の姿ともかぶる。『維新漂流』著者のノンフィクションライター・田崎健太氏が話す。
「会社に部長、課長、係長がいて、誰が何をどこまで決めるのか、裁量権や指示系統が明確にあるように、通常、組織はこうして動くものです。ところが、維新の会はそれがいつもあやふやなんです。一応、形としてはこうしたものはあるが、実質的に機能していない。総選挙を経て党勢は増したものの、まだまだ国政政党になり切れてないわけです。皮肉にも国会議員が合流した頃から、こうした混沌をさらに深めていった。石原共同代表との双頭体制にしても、本来は橋下共同代表がトップを務めるのが正当な形だが、今、彼は大阪を離れるわけにはいかない。例えば、彼の進める大阪都構想への重要過程ともいえる、大阪市の公募区長にもやる気のある人とそうでない人がいる。そこには橋下という“重し”が必要。都構想が疎かになるなら、それこそ維新の会をつくった意味がないということです。今は国会議員団が東京、橋下氏が大阪という歪な体制。かといって、大阪市長と参院議員の兼任はまず認められない。となると、まずは大阪での改革を成し遂げることでしょう。仮に、橋下代表が東京にいたのなら、慰安婦発言も国会議員との議論のうえでもう少し戦略的にできたかもしれないし、ああいったミスは防げたかもしれない。まぁ、ああいうドタバタもすべて明らかにしてしまうのも、維新らしいとも言えますが。それでも何とか前に進んできたが、歪な組織の問題を先送りにしたままでは、国政においてはこれまでのようにはいかないということでしょう」
政党組織の体をなしてない……。本書を読み進めていくと、一人の強力なリーダーによって巨大化し続けた青臭い集団が、壊れそうになりながらも、ひとつの志の下ひとつに収斂されていく様も見て取れる。だが、政治は待ったなしの世界。長い目で見守って下さいという悠長な話では、近い将来、その存在感はなくなっていくだろう。
参院選まであと1か月あまりしか時間は残されていない今、維新の会は体制を立て直せることができるのか。田崎が言う。
「慰安婦発言は裏目に出たが、では、僕らを含めて日本人は国家観や歴史、外交などに対する教育をきちんと受けてこなかったのも事実。橋下氏も『僕も知りませんでした』と自ら認めているように、彼は走りながら必死に勉強している。自分が知らないから、近現代史の研究所をつくりましょう、という彼の姿勢は正しいと思う。こうした勉強の過程を表に出しながら、議論を巻き起こす……そういう意味では、希代の政治家であることは間違いない。ただ、次の参院選は厳しいでしょうね。自民党と政策や主張が同じになってしまっているように思われている。ただ、自民党は官僚の間に入っていき、利益誘導をしてきた政党であり、どんなきれいごとを並べても、彼らに今の疲労した日本の制度を変える気があるとはとても思えません。維新の会が“第2自民党” のように見えるとしても、自民党とは体質が決定的に違います。維新の会が取り組んでいるのは、日本の政治の病巣をいかに治癒するかということ。愚直かもしれないが、当たり前のことを当たり前に言い続けるのもいいのではないか。維新の会もここまで大きくなり、もうこれまでのような奇襲作戦は使えない。オーソドックスな戦術で前に進んでいくしかないと思う」
果たして、維新の“第三幕”に繋がるような選挙戦を戦えるのか? 空中分解の危うさを常に抱えながら、夏の戦いに突入する。 <取材・文/山崎元(本誌)>
『維新漂流 中田宏は何を見たのか』 報道では知り得ないリアルな世界 |
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