更新日:2017年08月05日 10:35
スポーツ

甲子園に“神実況”名物アナが帰ってくる!

 あの男が帰ってくる――。昨夏、マイクの前から突如姿を消して、大いに高校野球マニアを悲嘆させた(https://nikkan-spa.jp/489681)NHK神戸放送局の小野塚康之アナウンサーが、大会第7日第1試合(17日 沖縄尚学対作新学院戦)で、夏の甲子園の実況に復活する。  小野塚アナと言えば「イイ当たりーーィ!」「トゥーーレツーーー!!」などのNHKらしからぬ「ハイテンション実況」が、裏で「熱闘甲子園」を放送している民放局を食ってしまうほどの熱さ。また、時には詩的に、時には選手や観客を慮る、愛ある実況も高校野球ファンの琴線に触れており、ネット上では「小野塚語録」「小野塚チェックシート」ができるほどの名物アナウンサーだ。 ◆高校野球愛溢れるコラムも開設  そんな小野塚アナだが、実はHP上でコラムを開設しているのだ。その名も「甲子園ではハイテンション 小野塚アナウンサーの野球コラム」(http://www.nhk.or.jp/kobe/onoduka_column/)。NHK神戸放送局HPのリードにはこう書かれている。
小野塚アナHP

「甲子園ではハイテンション」小野塚アナの野球コラム

“野球実況歴34年!「野球が無くては生活できない!」という小野塚アナウンサー。ハイテンションな実況で、多くの野球ファンに愛されています。2007年の夏の甲子園の決勝戦、佐賀北対広陵戦での逆転満塁ホームランにおける「あり得る最も可能性の小さい、そんなシーンが現実でーーーす!!」というフレーズは高校野球ファンの間ではあまりにも有名。このページでは、小野塚アナウンサーの野球への熱い想いをコラムでお伝えします。”  昨年10月31日から始まったコラムには、今夏8月1日までの小野塚アナがその目で見てきた「甲子園名勝負」や「高校野球にまつわるエピソード」10編が記されている。  2007年の佐賀北対広陵戦についてのコラム「甲子園の詩(14年8月1日)」では、小野塚アナが放送終了時、実際にコメントした内容が記されている。 “記憶と共に記録を記し続けたスコアボード。長打を呼び、ファインプレーを生んだ緑の芝生の大きな外野。あきらめない気持ちを教えてくれた広いファールグラウンド。どこでノックを受けるより上手くなれた茶色の土の内野。選手を送り出し、温かく迎えてくれたダッグアウト。アルプスから巻き起こる大歓声、受け止めてグラウンドの選手たちにこだませた銀傘。そして、今も立ち上がり、選手を、大会をみつめる観衆の皆さん。2007年夏、球児にとっての最高の舞台の幕が下ります。大会の充実した満足感とちょっぴりの寂しさを残しながら。マンモス甲子園の大時計の2本針は4時5分を指しています(2007年8月22日佐賀北対広陵・決勝戦・閉会式)”  これはラジオ実況でのコメントだそうだが、本人もコラムで書いている通り異例の長さだ。当時、甲子園が改修の真っ最中であり、少しづつ見慣れた甲子園の形が変わっていく、そんな寂しさも含まれたアナウンス。ラジオでは放送の終わりに時刻を最後に告げるのが決まりになっているそうだが、甲子園の大時計をイメージさせ、余韻を残す。高校野球ファンはこの後の番組がまったく記憶に残らなかっただろう。  また興奮のあまり、「ムァツザカ・ダ!イ!ス!ケ!」と叫んでしまったという、98年の「松坂大輔(横浜)怪物伝説」にも触れている。さらには高校野球の特殊な戦術を解説したり、今春のセンバツに出場し、大敗を喫した都立・小山台高校にエールを送ったりと、読み応えは抜群のコラム集となっている。  当時の記憶が小野塚アナの実況とともに鮮明に蘇ってくる……。今夏などんな伝説が小野塚アナの実況とともに生まれるか。高校野球ファンはテレビ・ラジオの前で固唾を飲んでいる。 ●小野塚アナの実況予定は以下の通り ・第7日第1試合(17日・8:00)テレビ ・第10日第4試合(20日・15:30)テレビ ・第12日第4試合(22日・15:30)ラジオ ※実況予定や日時は変更となることがあります。 <取材・文/日刊SPA!高校野球取材班>
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