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“ドローン少年”ノエルの母親を安田浩一氏が直撃取材「彼は優秀なジャーナリストになれるのではないか」

ノエル宅

「フィリピンにかえりたい」と壁に落書きされた(現在は消されている)川崎の事件の加害者の自宅。ここでもノエルは「ネットの生中継配信」を行い、警察官とトラブルを起こした。写真は安田氏撮影。

「彼は、彼なりに“伝える努力”はしていた」――。  ジャーナリスト・安田浩一氏は、浅草三社祭でドローンを飛ばすことを示唆し、威力業務妨害容疑で今も拘留中の“ドローン少年”ノエルをこう評した。  安田氏はこのほど上梓したばかりの『ネット私刑(リンチ)』(扶桑社新書)で、正義の名を借りて重大事件の容疑者の個人情報をネット上にさらす「私的制裁」の問題を追いかけ、特に最近、「ネット私刑(リンチ)」が猛威を振るった川崎男子中学生殺人事件の現場にたびたび足を運んでいる。  ノエルの名が世間に広く知られたのもまた、川崎の事件がきっかけだった。ネット配信業を自称する彼は、主犯格の容疑者宅を直撃し、どの報道機関よりも早く容疑者の両親の姿をネットで生配信した。 「彼のやったことはもちろん支持しないし、伝える姿勢も評価していませんが、それとは別に、きちんと訓練すれば優秀なジャーナリストになれるのではないか、とも思っているんです。 少なくとも、現場に足を運び、伝えることを繰り返している……ネット上に散らばる情報を拾って、切り貼りしただけの記事をつくる数多の人にくらべれば、こうした点に限っては評価できる。 しかも、彼は顔をマスクで半分隠しているとはいえ、Webカメラを取材対象だけではなく、自分にも向けて配信していた。伝える側の人格が情報の受け手に見えており、こうした姿勢と行動力には一定の評価を与えてもいい」  このように評する安田氏は、著書『ネット私刑(リンチ)』で、ノエルからインタビューの約束も取りつけていたという。だが、取材の日時が決まろうとしていた矢先、彼は逮捕されてしまったのだ。ノエルとの詳しいやりとりは同書に譲るが、安田氏は彼の存在を看過できない大きな理由があるという。 「彼自身が『ネット私刑(リンチ)』を煽るための装置として機能してしまったことも事実。川崎の事件では、彼のネット配信は不特定多数の憎悪を掻き立て、容疑者への攻撃に向かうための材料を提供したに過ぎません。 こうしたことをどこまで自覚していたのか……。伝えることで、ハレーションがどこまで大きくなるのか? 誰が犠牲になるのか? そして、誰のための正義なのか? おそらく彼は考えていなかったでしょうし、彼にとってはまず伝えることが大事だったのかもしれない。でも僕は、ここに編集が加わらない怖さを感じる。 つまり彼は、日本のジャーナリズムや事件報道が抱える問題を、意図的ではないにせよ浮き彫りにした。その意味で、ジャーナリズムに関わる人間にとって、彼を無視することはできない。彼は僕らにとって“合わせ鏡”のような存在なのです。だからこそ、彼とはきちんと話がしたかった」  凶悪事件が発生すると、マスコミは容疑者だけでなく被害者の個人情報をまず集めようと血道を上げる。特に“ガン首”(顔写真のこと)は、マストの素材とされている。これを入手するために近隣の住宅をしらみつぶしに回り、卒業アルバムを高値で買い取るようなことは日常茶飯事だ。被害者遺族の声を取るためメディアスクラムが起きることも珍しくない。  マスコミの言う「正義」とは何なのか……安田氏はノエルという“合わせ鏡”に映った己の姿を前に自問自答する。 「週刊誌の記者をやっていた若い頃、単純な善悪二元論による犯罪者叩きに加担しなかった……と、はたして僕は言えるのか。しかも、当時の僕は署名原稿を書いていない。彼の行為は、ジャーナリズムが抱える危険性をわかりやすく提示したと言っていい」  地を這うような取材が身上の安田氏だけに、同書ではノエルの母親の直撃にも成功している。 「渦中の人物の家を取材で訪れると、何かそこだけ波長が乱れているような感じを覚えるものですが、ノエルの自宅にはそういった感触はなかった。 近隣の人に話を聞くと、ほとんどが彼の逮捕を知っていましたが、彼は好奇の目を向けられていたわけでもないし、普通の住宅街の普通の家という印象。彼の家族も普通の生活者として暮らしていたことが十分わかりましたね。 ただ、僕が取材に訪れたときも、遠くからわざわざノエルの自宅に来た若者がいたし、少し前にはノートPCを携えて自宅を直撃した人もいました。つまり、ノエルは彼がやったのとまったく同じ方法で、攻撃される側に立たされたわけです。彼が生み出した第2、第3の“ノエル”によって彼自身が攻撃される……皮肉ですが、これこそが現在のネット社会の特徴なのです」  安田氏はノエルの自宅を何度も訪れたが、人の気配はしても家族が応答することはなかったという。ところが、同書の〆切りが迫ったある日、これが最後とノエル宅を訪問すると、母親が応対してくれたのだ。 「何の断りもなく、自分の生活圏にズカズカと踏み込んでカメラを回す……そんなイヤな目に遭ってきたのでしょう。すごく警戒していたのが印象的です。おそらく、僕のこともそんなイヤなことをする1人と見ていたはずです。インターフォンで来意を告げてから、玄関のドアが開くまでのしばらくの間、そんな葛藤があったことは容易に想像できました。 玄関の脇の小さな窓を開けて、母親が真っ先に言ったのは『1人ですか? カメラはありますか?』でした。本当に1人なのか? 1人だったとして、ドアを開けたらそこにはWebカメラが構えられ、問答無用でネット中継をされてしまわないか? 母親が抱いた不安は、『ネット私刑』の被害の現状をそのまま表していたのです」  ドアの向こうには、ごく普通の市井の生活者が立っていた。ネットでは、一部のノエル支持者から“鬼母”といわれていた母親だが、現実はそれとは大きく異なっていたのだ。 「見た目も若くてきれいで、応対も丁寧。優しそうな母親でしたよ。 意外だったのは、この本の編集者とノエルがメールでやりとりをしていたことを彼女が把握していたことです。そして彼女は、拘留が解かれ出てきたときには、ノエル自身がこの事件の説明をしなければならないとも言いました。 人のことを散々報じてきたのだから、この事件について自分の口できちんと話すべき――母親の言葉は、『ネット私刑(リンチ)』についてだけではなく、ジャーナリストの在り方についても深く考えさせられるものでした」  この国のネット社会の実態に迫った安田氏の労作『ネット私刑(リンチ)』は、ネットと片ときも離れられない現代人にとって必読の書と言っていい。私的制裁を下し、溜飲を下げたあなたが、いつ被害者の側に立っても何の不思議もないのだから……。 <文/日刊SPA!取材班>
ネット私刑(リンチ)

インターネットで事件の加害者の名前をさらし、その家族の個人情報までも、 その真偽に関係なく拡散していく――

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