元ヤクザが語るポール・マッカートニーとの獄中交流「陽気に『イエスタデイ』を歌い始めた」
1980年1月16日、日本公演のために来日したポール・マッカートニーが大麻所持で成田空港で現行犯逮捕された。
逮捕後、彼が勾留されたのが警視庁本部の留置場。結局、10日間の勾留を経て、国外退去処分となったポールは、イギリスへ帰国。すべての公演はキャンセルとなった。
当時、獄中でたまたま彼と居合わせたのが、広域暴力団の二次団体に所属し、フィリピン・マニラで殺人に絡み逮捕された瀧島祐介氏だ。
先日刊行された初の著作『獄中で聴いたイエスタデイ』(鉄人社)には、彼が留置場内でポールと居合わせたときのエピソードが克明に綴られている。
◆更生のきっかけは獄中で聴いた『イエスタデイ』
結局、殺人罪で懲役15年の実刑判決がくだされた瀧島氏だが、出所後は獄中で聴いたポールの歌声に勇気づけられ、現在は完全に極道から足を洗っている。
76歳になった瀧島氏は現在、関東某所で、肉体労働の傍ら、農業を営み静かに暮らしている。畑作業をする彼の欠けた小指からは、極道にいたときの痕跡が伺える。組に入っていた当時につけた「ケジメ」は今でも身体に刻み込まれているのだ。
獄中でのポールはどのような姿だったのか。瀧島氏に45年前のポールとの知られざるエピソードを聞いた。
◆床を叩いてリズムを取りながら歌い始めた
――ポールが『イエスタデイ』を発表したのは1965年です。彼が大麻所持で現行犯逮捕された時点で、すでにビートルズ解散から9年が経っています。その意味で、ビートルズ時代の『イエスタデイ』を彼が歌うのはとても貴重だったと言えますね。
瀧島:一部ビートルズファンの話によると、ポールはビートルズ解散以降はビートルズの曲を積極的に歌わなかったそうですね。私はたまたま雑居房の中で自分が知っている『イエスタデイ』をリクエストしたわけですが、彼はフロアで「OK!」と陽気に答えてビートルズの曲を歌ってくれました。
ポールは、瀧島氏のリクエストに応えるように、自分が座る床を叩いてリズムを取りながら歌い始めたという。留置場で、アカペラで歌う彼の声だけが響いた。
瀧島:ポールはさらに三曲歌ってくれました。ほかの曲目は覚えていないのですが、留置係はポールが歌うのを止めなかった。みんな聞き入っていたんでしょう。
事実、ポールが一曲を歌い終えると、留置場内は拍手喝采だったという。
◆喫煙所で垣間見えたポールの陽気さ
また、獄中の喫煙所で、瀧島氏はポールと居合わせたこともあった。ジーパン姿だったポールは、ラクダの毛のガウンを羽織っていた瀧島氏に「君は社会でリッチマンだろう」と陽気に告げたという。
瀧島:普通、海外の獄中にいたら萎縮するものでしょうが、彼は違いました。私が同房だった学生運動家を通訳にして事件のことを聞いたときも、「なぜ悪いんだい?」といった表情を浮かべていましたよ。
――しかし、日本では大麻所持は重罪です。萎縮する様子はなかったんですか?
瀧島:本当は心のどこかで恐怖はあったのかもしれないですね。ただ、それはわからない。少なくとも、ポールは私を含めた勾留されている男たちに陽気に接してくれましたよ。
そんなポールとの出来事を、瀧島氏はなぜここまで覚えているのだろうか。
瀧島:印象的なことはすべて覚えてるんですよ。最近はめっきり記憶力が弱くなってしまいましたが、逮捕されたときや獄中での出来事は今でも覚えている。それだけ印象的な出来事だったんだと思います。
同書には、瀧島氏がポールに直接感謝の気持ちを告げるべく、来日コンサートで「出待ち」をしたときの顛末も書かれている。ポールの知られざるエピソードだけでなく、今よりもヤクザが世間を騒がせていたときの雰囲気も感じ取ることができるだろう。 <取材・文/日刊SPA!取材班>
『獄中で聴いたイエスタデイ』 獄中でのポールの知られざるエピソード |
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