徹底除染か、集団移住か【警戒区域・大熊町の場合】
―[高汚染地域で本格的な除染が始動]―
【高汚染地域で本格的な除染が始動】
福島第一原発事故の「警戒区域」に指定されている大熊町で、昨年12月8日に除染モデル事業が始まった。効果的な除染方法や作業員の安全対策確立が狙いだ。「警戒区域」や「計画的避難区域」の指定を受けた計12市町村でも順次実施予定。国は’12年から本格作業に乗り出す。以前から細野原発担当相は除染について「コスト、経済性を度外視して取り組む」と語っていた。
◆高線量地域は「徹底除染」よりも「集団移住」優先で生活再建を
福島第一原発事故から10か月以上が過ぎた。放射能の高汚染地域でも、政府の言うように徹底除染すれば、住民たちは帰郷して元の暮らしを取り戻すことができるのだろうか? そんななか、着の身着のままで故郷を追われ仮設住宅での生活を強いられている住民たちのなかから、政府の方針に敢然と異論を唱える地元議員が現れたという。筆者はこの人物に会うため、会津若松市郊外の仮設住宅に向かった。
高台にある仮設住宅は、どんよりとした雲のもと寒風にさらされていた。取材に応じてくれたのは、前大熊町議で昨年11月の町長選に急遽立候補した木幡仁さん(60歳)。
「現町長は原発事故という非常事態が起きたのに、町民たち一人ひとりと膝を割って触れ合おうという姿勢が見られなかった。しかも、東電ベッタリの姿勢は今でも変わらない。町の出張庁舎内にスペースを確保し、東電職員2、3人を今も無償で常駐させているんです。ほかにそんな町村はありません」
大熊町は言わずと知れた福島第一原発の城下町。原発マネーで潤っていた人口約1万1500人のこの町の状況を、レベル7の原発事故が一変させた。放射性物質がまき散らされた町内では、プルトニウム239、240も検出されている。9月、町が町内167か所を独自に調査して作った放射線量マップによると、原発から西3km地点でなんと103.66μSv/hの最高値を記録、大半の地点で10μSv/h超、13か所で50μSv/h超を計測した。
「それにもかかわらず、現町長は9月定例会の最終日(10月5日)に『5、6号機が無傷で残っている』と答弁し、脱原発へ否定的な姿勢を表明したんです。このとき、議員辞職をして町長選に出馬することを決意しました」
選挙期間中、会津若松市内から約135km離れたいわき市内の仮設住宅計15か所を何度も回った。木幡さんは除染後の「帰還」を主張する現職とは対照的に、東電との関係見直しと「集団移住」の早期実現などを訴えた。
「現実問題として、放射線量が高くて故郷には当分戻れないと思う。原発から7.5km離れた自宅周辺の空間線量が12.3μSv/h、屋内でも4~5μSv/h。木造の自宅は地震でも大丈夫だったんですが……。駅前商店街があり400~500人が生活していた下野上地区は20.2μSv/h。見通しの立たない除染作業を待ちながら仮設暮らしを続けるよりも、集団移住して、そこを拠点に新たな生活に踏み出したい。個人的に移住したくても、住居、仕事の面や経済的な問題などでどうしてもできない人は多い。それに、住民がバラバラに移住してしまえば地域コミュニティが崩壊してしまう。政策として、希望する人はすべて集団移住できるようにしなければ」というのが木幡さんの主張だ。
帰還か移住か、世代によって意識はかなり違う。福島大学災害復興研究所が11月上旬に発表した双葉郡8町村の全世帯を対象に行ったアンケートの結果(約1万3460世帯が回答)によると、34歳以下では52.3%が「以前の居住地に戻らない」と回答。年齢が上がるにつれて帰還希望者が多くなる。戻らない理由(複数回答)としては「除染が困難」が83.1%と最も多く、次いで「国の安全レベルが低い」「原発事故の収束が期待できない」だった。「子供への放射線の影響を心配する声が若い世代では特に目立った」という。
⇒【後編】に続く https://nikkan-spa.jp/120994
「戻れる」前提でいては新たな生活を始められない
取材・文/北村土龍 撮影/田中裕司 ハッシュタグ