KAIENTAIの青春群像――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第306回(1998年編)
現在進行形のときはなにがなんだかわからないままあっというまに時間と空間がスルーしていって、あとになってみるとそれがものすごいことだったと気がつくことがある。KAIENTAIのWWE体験もそんな歴史的なできごとだった。
TAKAみちのく、フナキ(船木勝一)、トーゴー(ディック東郷)、テイオー(MENS’テイオー)の4人組は1998年4月から同年12月までの約9カ月間、ソープオペラの登場人物として毎週のように“ロウ・イ・・ウォー”に出演していた。
チームリーダー的なポジションに立っていたTAKAは前年の1997年11月、WWEと正式契約。当初はザ・グレート・サスケとWWEとのあいだで契約交渉が進められ、当時、単身メキシコ遠征中だったTAKAはサスケのテスト・マッチの対戦相手としてアメリカに召集された形だった。
しかし、サスケが日本とアメリカを往復しながらのツアー活動を希望したためWWEと話し合いは決裂。サスケ対TAKAのテスト・マッチを観たWWEフロントがサスケではなくTAKAの獲得に興味を示したという経緯があった。
ネゴシエーションをコーディネートしたのは、それまで数多くのインディー系日本人レスラーの海外武者修行の橋渡しをしてきたプエルトリコのらつ腕プロデューサー、ビクター・キニョネスだった。
WWEは同年12月、WWE世界ライトヘビー級王座を新設。王者決定トーナメント決勝戦でブライアン・クリストファーを破って優勝したTAKAが初代チャンピオンとなった。
TAKAは“レッスルマニア14”(1998年3月29日)にも出場し、アギラを下して同王座を防衛。“レッスルマニア”の大舞台でタイトルマッチをおこなった日本人レスラーはあとにも先にもTAKAひとりだけだ。
フナキ、トーゴー、テイオーの3人は1998年4月、ポスト“レッスルマニア”路線のプロローグとなる“ロウ”のTVマッチに乱入し、TAKAを襲うというヒールとしてのポジションでデビュー。新顔のKAIENTAIがベビーフェースのTAKAをつけ狙うという初期モードの設定に約3カ月の時間が費やされた。
1
2
この連載の前回記事
この記者は、他にもこんな記事を書いています
ハッシュタグ