ゴーディは「帰りたかねぇ」といってガッハッハと笑った――フミ斎藤のプロレス読本#051【全日本ガイジン編エピソード19ゴーディ外伝】
―[フミ斎藤のプロレス読本]―
199X年
ギラギラのネオンサインと色とりどりのタクシーと左側通行の道路をながめていると、またこの街に戻ってきたんだという実感がわいてくる。テリー・ゴーディの南部なまりのイングリッシュで発音すると、ジャパンがジャッパーンになる。
生まれて初めてジャッパーンにやって来たのは15年もまえのことだ。夏の終わりのむし暑い夜、蔵前国技館のリングでテリー・ファンクの回転エビ固めを食らった。1983年でもいいし、昭和58年でもいい。どっちにしても、ずいぶん昔のはなしになってしまう。
ゴーディは、トーキョー・ウォッチングの達人である。とくに六本木にはうるさい。ナイトクラビングの街だから、お酒を飲んで、そのへんをほっつき歩いて、またお酒を飲んで、またそのへんをほっつき歩いていればいい。
なるべく時計をみないようにして遊んでいると、このままずっと夜がつづくんじゃないかという気がしてくる。
ちょっとまえまでスティーブ・ウィリアムスといっしょによく足を運んだ“ピップス”――ロア・ビルのまえから信号を渡ったところ――は、いつのまにか妙に立派なチャイニーズ・レストランに姿を変えていた。
ホーク・ウォリアーに教わって通うようになったカウンター・バー“ミストラル”は、オーナーが代わったのか、バーテンダーも客層もガラッと変わっていた。
“ピップス”のあったところのおとなりのオレンジ色のイタリアン・レストランがあるところ――いまはうどん屋さんになっている――は、何年かまえまでは朝まで開いているカフェ・レストラン“ジャック&ベティ”だった。
そんなことにがっかりしてもしようがないのかもしれないけれど、時間がたってしまった現実はゴーディを少しだけメランコリックにしている。
テネシー州サディーデイジィーの家からトーキョーまで来るには、だいたいまる1日かかる。サディーデイジィーからチャタヌガ、チャタヌガからカリフォルニアまで飛ぶのに半日。国際線の出発地がロサンゼルスであってもサンフランシスコであっても、カリフォルニアからトーキョーまでがまた半日。
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