「妻子よりも鷹が大切」最後の鷹匠・松原英俊の常人には理解できない生き様
これまでライターとして、常人とは一線を画す奇人・変人・偉人を数多く取材してきたが、その“突き抜けっぷり”で言えば、松原英俊氏(68)は一二を争うレベルだと言っても過言ではない。
彼のスゴさは、現代において鷹匠(鷹使い)という稀有な生き方を40年以上も貫き通していることである。
「今の時代に鷹匠なんているの!?」とビックリする人もいるかもしれないが、現代ではタカやハヤブサなどの猛禽類を調教する技術を備えている人を総じて「鷹匠」と呼んでいる。ネットで検索すれば、古来より伝わる放鷹術を身に付けた諏訪流鷹匠や、鷹による害鳥駆除を仕事とする鷹匠、女性鷹匠マンガ家などがヒットするはずだ。
ただ、今の時代に鷹匠を名乗る人たちの中にあって、松原が唯一無二の特別な存在であることは間違いない。なぜなら、大型の鷹であるクマタカを使って実猟ができる鷹匠(鷹使い)は、かつて東北の農村に大勢いたが、今では松原ただ独りを残すのみとなっているからだ。松原がメディアや講演会などで「最後の鷹匠」と呼ばれる理由もそこにある。
ちなみに、私が松原の半生をまとめた書籍『鷹と生きる 鷹使い・松原英俊の半生』(山と渓谷社)の中では、松原のことを「鷹使い」と呼んでいる。鷹匠も鷹使いもともに鷹狩の技法を備えている人を指す言葉だが、東北地方の農村でクマタカによる鷹狩を行ってきた農民や猟師たちのことを特に「鷹使い」と呼び、松原もその伝統を受け継いでいるため、あえて「鷹使い」としたのである(本記事でも、以下「鷹使い」とする)。
小学生のころから生きもの、特に鳥が好きだった松原は、大学生のときに「自然に囲まれた環境で、さまざまな生きものとともに生きていきたい」と思い立ち、鷹使いになることを志す。そして、大学卒業後に山形県最上郡真室川町の老鷹匠・沓沢朝治に弟子入りをする。沓沢は当時、クマタカを使った鷹狩ができる唯一の人物で、彼に教えを乞うほかに鷹使いになる道はなかったのだ。沓沢のもとで修業を積んだ松原は1年後に独立。以後、現在に至るまで鷹使いとして生きてきた。
「最後の鷹匠」と呼ばれる理由
1
2
『鷹と生きる 鷹使い・松原英俊の半生』 松原英俊、68歳。妻子あり。ただひとつ人と違うのは、彼が「鷹使い」であるということ |
ハッシュタグ