更新日:2023年05月23日 17:42

残せなかった被災シンボル「はまゆり」をめぐる思惑

「個人的には複雑な思いもあります。けれど、仕方がなかったんでしょう。損傷もほとんどないし、まだ乗れそうなものですが……」  観光船はまゆりの元船長・刈谷秀章さんは自分に言い聞かせるようにそう語る。5月10日、岩手県大槌町では、震災による津波に流され民宿の屋根に乗り上げたはまゆりの撤去作業が始まった。刈谷さんは就航以来、ずっと航海士や船長として関わってきただけに思い入れも強く、その様子を見に毎日のように現場を訪れていたという。「今年でちょうど私も定年だったので、ある意味いっしょに引退です」と、苦笑いをした。
はまゆり

はまゆりを前に刈谷さんは、「ここからだとまるで山海を泳いでいるように見えるんです」と話した

 はまゆりは釜石市が所有する観光船で、就航以来14年間にわたって市の象徴として親しまれてきた。だが、点検のために隣接する大槌町のドックに停泊していたところを津波に遭い、陸側に150mも流され旅館の上に乗っていた。その嘘のようなバランスに、「復興のシンボルとして保存すべきだ」という声もあったが……。岩手県に保存を提案した中田高・広島大名誉教授は無念そうに語る。 「残念の一言に尽きます。保存することによって震災の記憶の風化を防ぐことができるだけでなく、復興のための観光資源にもなったはず。大きな経済効果も見込め、世界遺産にもなり得る話なのに、結論を出すのが性急すぎる」  また、現地へ赴き地元住民へ保存を訴えていた彫刻家の星野敦氏も次のように話す。 「あれだけのインパクトだから、どんな能書きよりも震災や津波の大きさを伝える力がある。負の遺産をポジティブな価値観に置き換えるべきで、早急に結論を出さずに、再考してはどうか」  だがその一方で、住民にはやむをえないという意見が根強い。一番の理由は危険性の問題だが、津波が来たときに高台に逃げたという女性は、「あの船は津波に呑まれながら周りの家をなぎ倒していった。その光景が今でも焼きついていて……」とツラい思い出を語る。  はまゆりが乗り上げた旅館の主人もこう話す。 「あそこだけを残すという意見には反対だよ。もし、保存するなら周辺一帯の土地を国が買い上げるか、借り上げてくれないと地元住民は納得いかない」  さらに、撤去の理由には住民感情だけでなく、行政側の事情もあったという声も聞かれた。 「あの船は年間6000万円も赤字を出していたからね。解体すれば、保険金や国からの補助金も出るみたいだし」(40代男性) 「釜石市と大槌町は市町村合併をめぐってこじれた過去があるから……。とにかく早く撤去したかったんじゃないかな」(50代男性)  前出の星野氏は「こうした問題はさまざまな思惑が絡み合って、地元では対処するのが困難。本来は国が乗り出すべき」と指摘する。 「この船が被災したのが大槌町ではなく釜石市で、あんなに目立つ形にならなかったら……なんとか残せたかもしれませんね」  刈谷さんがポツリと漏らしたその一言が、はまゆりの運命を物語っているのかもしれない。
撤去以前

撤去以前、はまゆりの周辺には多くの見物人が訪れていた。なかには外国人の姿もちらほら

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