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“復興”とは程遠い現実。「無人の町で、家畜と暮らし続けた男性の10年」を描いた理由

3月11日で東日本大震災から12年が経った。原発再稼働の動きも出始めている中、震災後、全町避難で無人地帯となった町に家畜や動物と共に一人で暮らし続ける松村直登(ナオト)さんの10年間を追った映画『ナオト、いまもひとりっきり』が公開中だ。なぜ、ナオトさんは人のいなくなった町で置き去りにされた牛や馬、犬猫と暮らし続けたのか。そして、この10年間の復興の現実とは――。監督の中村真夕さんに製作の経緯や原発事故後、福島で起きていたことなどについて聞いた。
ナオト、いまもひとりっきり

中村真夕監督 (C)劇場版 ナオト、いまもひとりっきり

映画だからこそできた作品

――ナオトさんを取材しようとしたきっかけについてはどのようなことだったのでしょうか。 中村真夕監督(以下、中村):当時、テレビ局で被災地の石巻や女川に行って番組を制作していたのですが、新しい視点で番組を作りたいと思って情報を集めていた時に、海外メディアでナオトさんのことを知りました。「なんでこんな人がいるのに、日本のメディアは誰も取り上げないのか」と思い、早速、テレビ局の上層部に提案したところ、「あなたに健康被害があっても責任が取れないから」といのことで却下になりました。ただ、それは表向きの理由だったのではないかと…。当時ナオトさんの住む富岡町は、福島第一原子力発電所から20Km以内の「警戒区域」として立ち入り禁止に指定されていましたが、その地域に留まる行為自体が「違法行為」という扱いでした。そういう人をテレビで取り上げるわけにはいかない、という雰囲気を強く感じました。 ちなみに、ナオトさんは某局の震災記録番組に登場していたんです。ただ、どこに住んでいるのかはわからない見せ方でした…。 私は「ナオトさんがなぜここに住むのか、そこに撮るべき何かがあるのではないか」と感じました。テレビ局の職員だったらこの企画はできないけれど、自分はフリーランスだし、番組ではなく映画にすれば発表できる。そう思って、この企画を映画にしようと決意しました。

避難区域に一人で残っているおじさんがいる

――取材を申し込んだ時のナオトさんの反応はどのようなものだったのでしょうか。 中村:ナオトさんに会いにいった時に、たまたま現地でチェルノブイリに潜入したフランス人ジャーナリストから「あの避難区域にずっと一人で残っているおじさんがいる」と聞いたんです。海外のジャーナリストは上層部の指示など聞きません。立ち入り禁止区域でも、真実に近付くためにはズカズカと入っていきます。 そこで、自分も興味を持ってナオトさんに会いに行ってみたところ、開口一番「日本のメディアは取材に来てもどうせ出せないんでしょ、だから答えても仕方ない」と言われました。というのも、ナオトさんのドキュメンタリーはBBCなどの海外メディアでは放送や配信がされましたが、日本の若い記者が取材に来ても、上層部が却下して記事なり放送なりを発表できなくなっていたとのことで…。 「フリーランスなので、取材しても発表できないということはない。映画としてやりたい」と言ったら、「ふーん、どうせできんだろう」みたいな感じだったんですけど、ペーパードライバーだった私が免許を取り直して、車に若葉マークを付けて通うようになったら、奇特な人だと思ったらしく、そこからだんだん心を開いてくれました。それが2013年夏ぐらいでしたね。
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「放射能」は使わないように言われて
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ライター、合同会社インディペンデントフィルム代表社員。阪南大学経済学部非常勤講師、行政書士。早稲田大学法学部卒業。行政書士としてクリエイターや起業家のサポートをする傍ら、映画、電子書籍製作にも関わる。

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