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ラサール石井やユーミン罵倒の大学講師、ネットにのさばる「プロ左派」たち

文/椎名基樹

ユーミンの先鋭性と中島みゆきの普遍性

松任谷由実 オフィシャルサイト

松任谷由実 オフィシャルサイトより

 私はユーミンが好きだ。と言ってもユーミンには大変失礼だが、私が聴くのはほぼ荒井由実時代限定だ。ティン・パン・アレーと共に行った活動は、日本の大衆音楽史の中で最もあか抜けている。いまだに日本のポップスの最高位に位置していると私は思う。  ユーミンには中島みゆきという全くタイプが逆であるが、同じく天才のライバルがいた。ユーミンが完成度の高いポップスの頂点にあるのに対して、中島みゆきの曲、特に「時代」や「世情」などは日本の大衆の中で永遠に歌い継がれるであろう強烈なメッセージと普遍性を持っている。  バブル時代の’90年代はユーミンが音楽界の女王として君臨した。しかし頂点を極めたユーミンからヒット曲が出なくなって久しい。一方で中島みゆきは未だにヒット曲を飛ばし続ける。  しかし「地上の星」だとか「銀の龍の背に乗って」を聴くと私はゲンナリしてしまう。新興宗教の教団歌を歌う教祖様みたいだ。かつて中島みゆきにはプロテストソングを歌う闘士の風情があった。新興宗教の教祖様では真逆じゃないか。NHKがとってもよくお似合いな超大物アーティストって感じだ。  ユーミンからヒット曲が出なくなった事は、申し訳ないが私は正しいことのように思ってしまう。ポール・マッカートニーがニューウェーブサウンドの波を越えられなかったように最先端の音楽を作ってきた人が時代に取り残されるのはある種の宿命に思える。逆に言えば先鋭的な音楽を作ってきた証拠でもある。

ラサール石井の「中島みゆき評」に疑問

 ラサール石井が「沖縄のデニーさんが、深夜のツイートで紹介した満島ひかりの「ファイト」。聴きながら考えた。中島みゆきとユーミンの決定的な違いは、その目線なんだな。中島みゆきは常に底辺から地面からの目線で詞を書いている。泥臭いんだよ。だからいいんだよ。」とツイートした。  ラサール石井は、かつて検察庁法改正を巡るTwitterの抗議運動に不参加だった指原莉乃に対して、「小泉今日子より指原莉乃の方が「賢いとされる態度」みたいなのが今日の日本をつくった…」という意見のツイートを引用した上で、「指原さんがそうだとは言いませんが、「賢く立ち回って、生き残る」という考え方は、堀江貴文、橋下徹、箕輪厚介、などの本が売れている現象でもわかる。若者にはそれの何が悪いかわからない。100人に1人のエリートになりたいのだ。しかし私は残りの99人に興味がある。文学や演劇はそういうものだ。」という発言をしているので、芸術に対する審美眼に自信をお持ちのようだ。  私は「ファイト」を底辺からの目線の曲とはとても思えない。メロドラマを吉田拓郎風に歌ってみました、そんなふうに感じる。どちらもモノマネなのだから非常に保守的な曲だと言える。プロテストソングとは真逆だ。しかし沖縄県知事のツイートから紹介しているのだから「ファイト」をある種のプロテストソングのように捉えているのだろう。そしてユーミンをその対立概念として語っている。なんとも薄っぺらい審美眼だと思う。  ラサール石井は歌詞の部分しか見ていないが、ポップスの最先端を追求していくには、大変な反骨精神が必要であるはずだ。新しければ周囲に理解されにくいからだ。宮崎駿がユーミンの曲を作品に使用するのは、どこか象徴的だ。
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ラサール石井の「プロ左派」ぶりに苛立ち!?
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1968年生まれ。構成作家。『電気グルーヴのオールナイトニッポン』をはじめ『ピエール瀧のしょんないTV』などを担当。週刊SPA!にて読者投稿コーナー『バカはサイレンで泣く』、KAMINOGEにて『自己投影観戦記~できれば強くなりたかった~』を連載中。ツイッター @mo_shiina

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