世界有数の空撮カメラマン・徳永克彦が明かす仕事のスタイル
世界で数少ない、各国の軍用機に同乗を許可されたカメラマン・徳永克彦。徹底して安全に配慮したその綿密な撮影プランは世界各国の空軍や航空機メーカーから信頼され、40年以上現役で写真を撮り続けている。先ごろ最新写真集『X(エックス)未踏のエンベロープ』(ホビージャパン)を発表した徳永氏に、カメラマンになったきっかけ、これまでの歩み、そして仕事へのこだわりを聞いた。
――最新刊となる『X(エックス)未踏のエンベロープ』ですが、撮影期間はどれくらいかかったのでしょう。
これは昨年2月にある部隊の方からお話をいただき、F-2という戦闘機の試作機4機が一緒に飛行する珍しい機会があること、またちょうどTPC(Test Pilot Course)というテストパイロットの養成課程が50周年を迎えるということで撮影を開始しました。基本的に海外で生活していますので、日本で3日撮影して、また海外に行き2ヶ月後に戻ってきて3日撮影する、みたいなスケジュールでした。昨年の4月に撮影を開始して、今年の3月に撮り終えたんです。
――2年前に放送された『情熱大陸』でもお姿を拝見しましたが、徳永さんの仕事は非常に珍しいですよね。
厳密に言いますと、戦闘機に乗って空撮するカメラマンは各国の軍にもメーカーにもいますが、インディペンデントで国を股にかけて活動しているのはおそらく私一人ぐらいだと思います。
――最初にジェット機に乗ったのはいつですか?
’78年、まだ学生のときです。アメリカ空軍の軍事演習の取材で行ったフロリダで初めて乗りました。当時は軍事演習があるとジャーナリストやカメラマンを一緒に飛ばすのが基本的な考え方で、向こうに着いてメディアセンターに行ったら「じゃあ飛びますか」みたいに言われて(笑)。今ほど資格とかにも厳しくなかったので、脱出装置やパラシュートの扱いに関するレクチャーを半日ほど受けるだけで乗れたんです。もちろん撮影のためにわざわざ別機を用意してくれるのではなく、演習機に同乗して撮れるものを撮る、という世界でした。
――そもそも徳永さんはカメラマンになりたかったのですか?
いえ、全然(笑)。私はあくまでも飛行機が好きであって、必ずしも写真を撮ることが大好きという訳ではないんです。ですから他のジャンルの写真はあまり撮りませんし、テクニック的にも一流ではないと自分で思っています。需要と供給で言えば需要が圧倒的に多かったから必然的にそうなったのであって、大学を卒業したら普通の会社員になろうと思っていました。
――どうして自分が空撮カメラマンになれたと思いますか?
タイミングが良かったのでしょうね。今から40年以上前、私が大学生の頃、日本で航空ブームが起きたんです。ちょうど自衛隊がF-15を導入するかしないかを検討していた1973年から74年くらいにかけては、一般の出版社でも航空機に関するムック本を毎月のように出していたんです。
――そんな時代があったのですね。
もともと飛行機マニアだった私は、学生時代から写真を撮って記事を書いたりしてましたが、端的に言えば、今のようにインターネットもありませんでしたし、“情報”を持っている人が限られていたんです。その中で私は頻繁に海外と手紙でやり取りをしながら、いつ演習があるとか、どんな新しい飛行機が出たとか、一般の人より早く情報を手に入れることができた。それを出版社に持っていくと簡単に仕事が得られたというわけです。
――今からはなかなか想像できない仕事のスタイルですね。
外部の人間を雇うということに緩やかでしたし、予算も多かった。海外の人たちにとっても、日本人と仕事をすることが珍しかったのでしょう。それより前でも10年後でもきっとうまくいってなかったと思います。
戦闘機に乗って空撮する仕事
もともと飛行機マニアだった
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