宮城県発YouTuber「ほーみーず」。被災当時、小学生だった彼らの支援策
米津玄師やあいみょんの替え歌や、学校生活や日常のあるあるネタで若者たちを中心に人気を誇る宮城県発のYouTuberユニット「ほーみーず」。2019年1月に中学時代の同級生である“ちばしん”と“るか”が開設したYouTubeチャンネルは、わずか2年でチャンネル登録者数47万人を超えている。
東日本大震災が起きた2011年当時、小学生だった2人が初のオリジナル楽曲を制作。復興への思いを込めたMVを震災から10年の節目にYouTubeで公開した。動画視聴に伴う広告収入を日本赤十字社を通じて被災者たちに寄付するという。
YouTuber「ほーみーず」の2人に、今回のMVへ込めた思いなどを聞いた。
地元・宮城県栗原市で被災した体験を持つ2人。東日本大震災の発災直後、地域の人たちに助けてもらった当時の記憶が、今回の楽曲リリースのきっかけとなっている。
「ちょうど小学校の“帰りの会”で地震が起きて。そこから1週間くらい停電していて、ぜんぜん情報が入ってきませんでした。電気が通ってやっと津波や被害者の状況を知り、すごい規模で被災していたことを知りました。
卒業式などもかなり簡易化されたのを覚えています。僕の自宅は無事だったので家族と過ごしていましたが、震度7を記録した地域だったので道路が割れていたり、古い建物が崩れていたりしました」(るか)
一方、別の小学校に通っていたちばしんは、学校で卒業記念制作の準備をしている際に被災したという。
「ちょうど数日前に避難訓練をしたばかりだったので、避難にかんしてはスムーズにできました。その日は母親が迎えにきて、車で自宅に帰りました。ただ、当時は父親が東京に出張していて会えない状況。不安な日々が続きました。
しばらく電気や水がない暮らしだったのですが、地元のスーパーの人たちに食料をもらってしのいでいましたね」(ちばしん)
この10年で石巻市の人口は1割以上減少。復興が進んだ地域もあるが、生々しい傷跡がまだ多く残されている。
「瓦礫などはほとんど撤去されていますが、以前のような活気のある街並みが戻っているとは言えないのかなと。特に沿岸部ではそう感じます。地元の栗原市は田舎で建物自体も少なく、内陸部だったので津波の被害はありませんでした。怪我人も比較的少ない地域でしたが、沿岸部に親族が住んでいる同級生も多く、つらい思いをした人が身近にいました。
被災者の心のありようもさまざまで、すでに前を向いて歩き始めた方もいれば、未だに傷が癒えないままの方もいます。被災地に限らない話で言えば、風化しつつもあると思います。この先も東日本大震災の記憶を忘れず、当時のことをよく覚えていないという若者まで、僕たちの得意な音楽で幅広く伝えていきたい」(ちばしん)
今回のプロジェクトで「ほーみーず」は、2021年4月30日分までのMV視聴に伴う広告収入や、配信による収益の全額を日本赤十字社を通じて東日本大震災の被災者に寄付する。具体的な寄付金額や経過については、SNSや動画で公開する予定とのことだ。
被災当時は小学生だった僕たちが今できること
今も傷跡が残る地域も…
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1988年生まれ道東出身、大学でミニコミ誌や商業誌のライターに。SPA! やサイゾー、キャリコネニュース、マイナビニュース、東洋経済オンラインなどでも執筆中。いろんな識者のお話をうかがったり、イベントにお邪魔したりするのが好き。毎月1日どこかで誰かと何かしら映画を観て飲む集会を開催。X(旧Twitter):@tsuitachiii
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