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NSC“伝説の講師”がM-1にあえて苦言を呈する

審査に贔屓や忖度はない

錦鯉

優勝した錦鯉 ©M-1グランプリ事務局

「M-1グランプリ2021」は錦鯉の涙の優勝で幕を閉じました。おじさんが必死で頑張るバカバカしさ、コメディの基本のようなドタバタ劇が優勝を掴み得たことには大きな意味があったと思います。  よく「うまいだけでは勝てない」と言われますが、まさにそのとおりでどれだけの熱量を見せられるか、見せつけられるかも重要なことだとでしょう。そういう意味でも錦鯉は「よく頑張った!」と多くの方が思われたのではないでしょうか。  今回の錦鯉の優勝には祝福のコメントがほとんだだったようで良かったのですが、よく「優勝は○○だろう!?」「審査がおかしい!」と自分の好みを主張しすぎて不正な審査があったかのように言われることがあります。SNS時代に入ってからは特にそうです。  笑いのツボはひとりひとり違い、好みも多種多様だと思いますが、さまざまな審査員をしてきた経験から言わせてもらえれば、贔屓も忖度もありません。というかありえません。一生懸命に舞台で頑張っている演者の言葉を一言も聞き逃すまい、一挙手一投足、ネタの精度の高さを見逃すまいと見ていたら、事務所がどこだとか、よく知っている子か、知らない子かなどという意識は微塵もありません。

M-1の審査をするために断酒する巨人氏

 審査員として参加されているオール阪神・巨人の巨人さんは、M-1の審査員として収録に参加される1週間前からお酒を断って臨んでおられます。出る方も真剣なら、審査する方もこれだけの準備と覚悟を持って臨んでいるのです。ですから、忖度や贔屓という言うのは演者だけでなく、審査員を含めたM-1に関わる全ての人に失礼だと思います。  忘れてならないのは審査員は演者と同じ空気の中で見ていますが、視聴者はテレビであれ、スマホであれ、PCであれ、画面を通してしか見られないので、どうしても舞台の熱量までは伝わってこないことです。この差はとてつもなく大きいです。細かいテクニックになればなるほど会場にいなければわかりえないこともあります。 「THE W」で優勝したオダウエダも私の生徒ですが、彼女たちへのバッシングはぜひやめてあげてください。選んだのは審査員です。彼女たちはただただ自分たちがおもしろいと思うことを一生懸命に発表しただけなのですから。
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M-1という競技
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漫才作家。'84年、オール阪神・巨人の台本執筆を皮切りに、漫才師や吉本新喜劇に多数の台本を提供。'90年吉本総合芸能学院(NSC)講師就任。担当した生徒は1万人を超える。著書に『吉本芸人に学ぶ生き残る力』(扶桑社刊)などがある

吉本芸人に学ぶ生き残る力

NSC講師として1万人以上の生徒を送り出した伝説の講師が教え子たちに教えた生き抜く術とは


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