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なぜキングオブコントの王者はM-1王者よりも注目されないのか

「Mー1グランプリ」と「キングオブコント」は似て非なるもの

漫才 東京オリンピックの開催、大谷翔平選手の活躍でアスリートが燃えていますが、これから冬にかけては芸人が燃えてくる季節が来ます。いろいろな大会がありますが注目されるのは年末の風物詩になってきた漫才日本一を決める「M―1グランプリ」でしょう。優勝はもちろん、決勝に残っただけでも人生が激変するほどのインパクトを残すのは視聴者のみなさんが一番わかってらっしゃることと思われます。  10月にはコントの日本一を決める「キングオブコント」も行われますが、同じお笑いの日本一を決める番組でも、スポットライトの浴び方が明らかに違います。これは「漫才」のほうが「コント」より優れているということではありません。私は漫才作家ですが、40年近いキャリアの中でコントもたくさん書いてきました。  演者自身による「漫才」「コント」の制作から練習の過程を数多く見てきましたが、その熱量になんら変わりはありません。それでも受け取られ方が違うのは「漫才」と「コント」の作りの違いが大きいと思います。

漫才とコントは何が違うのか?

 故いとし・こいし師匠は「なにも待たずにマイクの前でしゃべるのが漫才、小道具を使うのがコント」と端的に説明するためにこうおっしゃっていましたが、基本的に「漫才」は素の二人がお互いの個性を出し合いながら話を進めていきます。  ネタによっては「コント調」になって役割分担が明確に変わることもありますが「漫才の中でのコント」ですから、あくまでその時の役を演じているだけで、いつでも素の自分に戻ることができます。そして一度見たらそのコンビの印象を強く残すことができます。  一方、「コント」は素の自分ではなく、コントの設定の中の人物(ネタによっては動物だったり、モノだったりしますが)を最初から最後までやり切ります。ネタの作りによっては素に近い内容の時もありますが、基本は素の自分を前面に押し出すことはありません。  ですからコンビ(トリオ・複数)よりもネタの印象が強く残ります。何本か見ないと素がわからないし、何本みてもわからないコンビもいます。いい意味で、ベールに包まれているのかもしれません。
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観客をいかに巻き込むか
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漫才作家。'84年、オール阪神・巨人の台本執筆を皮切りに、漫才師や吉本新喜劇に多数の台本を提供。'90年吉本総合芸能学院(NSC)講師就任。担当した生徒は1万人を超える。著書に『吉本芸人に学ぶ生き残る力』(扶桑社刊)などがある

吉本芸人に学ぶ生き残る力

NSC講師として1万人以上の生徒を送り出した伝説の講師が教え子たちに教えた生き抜く術とは


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