もしもあの時こうしていれば……。恋愛や結婚、就職、転職、金銭関係など、過去を振り返ってみれば、誰でも後悔のひとつやふたつはあるはずだ。やり直しはきかない。我々は“経験”から学び、今を生きねばならないのである。では、市井の人々が胸に抱える「人生最大の失敗・後悔」とは? そして、その出来事から得た教訓とは? 何かしら参考になる部分もあるかもしれない。
(以下よりライター金子睦雄氏の寄稿)
「結婚は人生の墓場」とはよく言ったものである。僕もかつて結婚していたことがあるのだが、言葉の暴力や浮気など、妻からのモラハラが激しく、その結婚生活は苦しみに満ちていた。が、結婚自体を後悔したことはなかった。結婚したおかげで2人のかわいい子供に出会えたからである。僕が今でも後悔しているのは、離婚したときにその親権を手放してしまったことだった。
家庭内は常にピリピリとした空気
※写真はイメージです。以下同(Photo by Adobe Stock)
妻の僕に対するモラハラは結婚してから年々激しさを増していった。夫はこうあるべきという理想像を僕に押し付けてきて、僕がそこから少しでもはみ出した行動をすると、すぐにヒステリーを起こした。日常の些細なことですぐに怒りに火がついた。たとえば、僕がトイレのドアをちゃんと閉めずに用を足しただけでも、キーッと顔を真っ赤にして「
生きる価値のないクズ!」などと罵倒してくるのだ。
そのうち僕のほうも妻に対して暴言を吐くようになっていった。あるとき、食事中に妻が箸をテーブルからポロリと落とした。それに対して僕はこう怒鳴った。
「おまえは箸をちゃんと持つことすらできないのか! 今までいったいどういう生き方をしてきたんだ、このボケ!」
本来の僕は間違ってもこんなことでキレるようなタイプの人間ではなかった。が、妻が些細なことで僕にキレてくるのであれば、僕のほうもこれくらいの些細なことで彼女にキレてやらなければ釣り合いが取れないと思ったのである。
お互いの一挙手一投足を監視し、相手になにかしらの不手際を見つけては怒鳴り合うという日々が続いた。そのため、妻といっしょに家にいるときは常に戦場のようなピリピリとした空気が漂い、心の休まる時間なんてなかった。
そんなある日のこと。ついに僕の我慢の一線を越えてしまう出来事が起こった。
時刻は深夜の1時頃。僕は自分の部屋でパソコンで小説を書いていた。それは仕事ではないのでまったくお金にはなっていなかったのだが、それでもライフワークとしてずっと続けていきたいと思っていた。
玄関ドアの開く音が聞こえた。妻が帰ってきたようである。彼女は会社勤めをしていたのだが、その帰りに飲むことが多く、帰宅がこれくらいの時間になることは珍しくなかった。その足音は僕の部屋のほうに向かってきていた。そしてドアがバンと勢いよく開くと、そこに顔を赤く染めた妻が立っていた。
「なんだ、おまえ。酔っ払ってんのか」
「なにしてたの」
「おまえに関係ないだろ。あっち行けよ」
「なにしてたのって聞いてんのよ」
彼女はそう言って僕のパソコンの画面を覗き込む。そしてふんッと鼻を鳴らして言った。
「また小説なんて書いてたんだ?」
「だから、おまえに関係ないだろって」
「バカじゃないの。どうせそんなのを書いたってなんにもならないのに」
彼女のその言葉に全身の血がざわめいた。
「おまえ、今、なんて言った?」
「どうせそんなのを書いたってなんにもならないって言ったのよ。
もっとちゃんとお金になることをやりなさいよ! だから、あなたはクズなのよ!」
「てめえ……」
僕は拳をぎゅっと握りしめていた。妻の顔面を本気でぶん殴りたくなっていた。僕にとっていちばん大切なものを虚仮にされた。それは酒に酔ったうえでの失言としてもとても許せるようなことではなかった。
しかし、その握りしめた拳が振り上げられることはなかった。暴力だけはダメだ。暴力だけはダメだ。暴力だけはダメだ……。マグマのように込み上げる暴力への衝動を理性で必死に抑え込んでいた。
「なによ。なにか言いたいわけ?」
「出てけよ」
「出ていかない」
「出てけって言ってんだ、このクソ女!」
妻を部屋の外に突き飛ばしてドアをロックした。
「開けなさいよ、このバカ!」
彼女はそう叫びながらドアをドンドンと叩き続けた。それを無視していると、しばらくしてようやく静かになった。どこにもぶつけようのない怒り、悔しさ、そして惨めさ。僕はそれらの感情を椅子の上で丸めた体の中に抱え込み、ブルブルと小さく震えることしかできなかった。
オカルトを得意ジャンルとするフリーライター。コロナが収束したらチベットに雪男の探索に出る計画を立てている。
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