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ラーメンブーム、いつから始まった?“頑固オヤジ“から“文化”へ成長したワケ

ブームを重ねて成熟したラーメン業界

教養としてのラーメン

青木氏の著書『教養としてのラーメン~ジャンル、お店の系譜、進化、ビジネス――50の麺論~』

 今や国民食とも言えるラーメン。それは様々な歴史の積み重ねの上に成り立っている。その変遷とラーメンを存分に味わう食べ方を、50ブランド、100店舗以上のラーメン店のロゴデザインを手がけラーメンデザイナーであり「教養としてのラーメン~ジャンル、お店の系譜、進化、ビジネス――50の麺論~」(光文社)の著者でもある青木健氏に聞いた。  現在では老若男女が食事の選択肢に入れるラーメンだが、現在の姿になるまでには多くのブームを重ねて来た。ラーメンが一時的な「ブーム」から「文化」に成長するまでにはどんな歴史を経ているのだろうか。
ラーメン凪

青木氏がデザインを手がけたラーメン凪のロゴ

「古い話からすると明治時代に『支那そば』が登場して、昭和33年には『チキンラーメン』が発売されてインスタントラーメンのブームが到来します。この年はラーメンにとって重要な年で、新横浜のラーメン博物館の内装もこの年の日本をモチーフに作られているんですよ。  それから『どさん子』の全国展開や『サッポロ一番味噌ラーメン』の発売などからの味噌ラーメンブームを経て、最初のつけ麺ブームが来ます。麺にスープをつけるスタイルを生み出したのは『大勝軒』ですが、『つけ麺』という名前をつけて売り出したのが『つけ麺大王』で、昭和50年代のことです」

「96年組」がラーメンを文化に

 今は当たり前にある、味噌ラーメンやつけ麺もブームを経て認知されるようになっていったことがわかる。多くの場合、女性の参入がコンテンツのステージを底上げするトリガーになっているが、ラーメンが「ブームから文化になった」のは、どんなトリガーがあったのだろうか。 「1996年に『麺屋武蔵』『中華そば青葉』『くじら軒』が出てきて、これらの店はラーメン界では『96年組』と呼ばれています。それまでラーメンは、中華料理のメニューの一つだったんですが、ドラスティックな変化が生まれました。中華料理のラーメンは鶏ガラが中心だったですが、96年組の3軒は魚の出汁を使って、和風に振ったわけです」  味の変革に加えて、店の内装や支払いのオペレーション、さらには女性向けのアメニティも充実するなど、大きな変化があったという。
ラーメン青葉

ラーメン青葉

くじら軒

くじら軒

麺屋武蔵

麺屋武蔵

「お店の雰囲気も大きく変わりました。店内のBGMとしてジャズを流したり内装に凝るなど、オシャレになったんです。今では当たり前の食券機を明確に広めたのも、96年組の『麺屋武蔵』です。  そんな変化から女性客も増え始めて、2000年頃に『ラーメン屋にカップルが増えた』と感じました。お店も女性が入りやすい店作りを心がけるようになってきたんです。紙ナプキンや髪を結ぶためのゴムが用意されはじめたのもこの頃です」
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あのポーズも……
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Boogie the マッハモータースのドラマーとして、NHK「大!天才てれびくん」の主題歌を担当し、サエキけんぞうや野宮真貴らのバックバンドも務める。またBS朝日「世界の名画」をはじめ、放送作家としても活動し、Webサイト「世界の美術館」での美術コラムやニュースサイト「TABLO」での珍スポット連載を執筆。そのほか、旅行会社などで仏像解説も。

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