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優秀な人材を逃がし不利益になる人間を採用。会社に憤る採用担当者の復讐劇/石田夏穂・著『黄金比の縁』書評

―[書店員の書評]―
 世の中には読んだほうがいい本がたくさんある。もちろん読まなくていい本だってたくさんある。でもその数の多さに選びきれず、もしくは目に留めず、心の糧を取りこぼしてしまうのはあまりにもったいない。そこで当欄では、書店で働く現場の人々が今おすすめの新刊を毎週紹介する。本を読まなくても死にはしない。でも本を読んで生きるのは悪くない。日刊SPA!で書店員による書評コーナーがスタート。ここが人と本との出会いの場になりますように。

石田夏穂・著『黄金比の縁』(集英社)

 ピシッと櫛の線が入り、明らかに染めたてだとわかるほどの黒髪。限りなく素顔を目指しつつも、実は作り込まれた清潔感重視のメイク。春になると、駅や街の至るところで見かける就活生は、夏も本番の今の時期になってくると、ひとり、またひとりと姿を消していく。緊張と不安に包まれながらも、どこか上の空な様子の彼らを見かけるたび、“お祈りメール”を受けては絶望していた10年前の自分と重なり「一刻も早く内定を出してあげてくれ……」と思ってしまう。  今回の第169回芥川賞候補にもノミネートされている作家・石田夏穂の最新刊『黄金比の縁』のテーマは就職活動だ。しかし、就活生の目線ではなく企業側の立場から語られるのが面白い。工場の設計を請け負う会社である(株)Kエンジニアリングの新卒採用チームである「私」は、初めから採用担当だったわけではなかった。花形の「尿素・アンモニアチーム」でプロセス・エンジニアとして働いていた最中、ある騒動の内部告発者であると勘違いされ、「人員調整」の名の下に人事部に異動を命じられる。人事部は「女性ならではの視点」で活躍できるからという、真偽がよくわからないお決まりの慰めの言葉も、悔しさを助長するだけだった。  こうして採用担当になった「私」は、あることを決める。それは、優秀な人材を逃がし、不利益になる人間を採用することで会社に復讐を果たすことだった。とはいえ、不遜な態度の就活生などいるわけもなく、面接で判断するのは難しい。考え抜いた結果、一つの評価軸に行き着く。それは「顔の黄金比」だった。会社に対し、一介の社員が与え得る最大の損害は何か。それは自己都合の退職である。人手不足の中、せっかく育てた人材に辞められる被害は計り知れない。早期退職、つまり転職しそうな人間を採用するのだ。すぐに辞める秀才をひとりでも多く。  顔と退職率に一定の相関があると気づいた「私」は、密かに自らが導き出した顔の黄金比にのっとり、面接を行なっていく――。  世の中にはいろいろな形の「復讐」がある。この小説で描かれる復讐は、ものすごく手の込んだ、長期戦のそれである。主人公の生真面目さも相まって、その回りくどいやり方と執念がかえって笑いを誘う。物語は結末に向かうにつれ、思いもよらぬ方向に進んでいくのだが、読み終わった頃にはすっかりこの主人公の虜になっている。人が人を評価する、ということはどういうことなのか、その指針は何か。「仕事」そのものへのアイロニーにも思えるこの小説をあの頃に読めていたなら、もっと肩の力を抜いて就活ができたかもしれない。 評者/市川真意 1991年、大阪府生まれ。ジュンク堂書店池袋本店文芸書担当。好きなジャンルは純文学・哲学・短歌・ノンフィクション。好きな作家は川上未映子さん。本とコスメと犬が大好き
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