CYBERJAPAN一筋。リーダー・かなへぇが明かす15年間の“変化と挑戦”「人生は何が起こるかわからない」
“日本一セクシーな美ボディ集団”として、国内外のイベントやフェスに出演する「CYBERJAPAN DANCERS」。魅惑的な衣装を身にまとい、華麗なゴーゴーダンスで会場を盛り上げる。
大阪府出身の渡辺さんは、中学時代にバレーボール部へ所属していたが、仲の良いクラスメイトがダンスに熱中していることを知り、「自分も踊ってみたい」と思うようになったという。
「実は小学校の頃から、歌って踊れるアーティストのSPEEDや安室奈美恵に憧れていて。中学校の休み時間には、モーニング娘。の『LOVEマシーン』の振りを覚えて踊っていましたね。
放課後にみんなで集まって、ダンスの振り付けを考えたり衣装を買ったり、ポージングを決めたりするのが楽しかったんです。友達とダンスに明け暮れる日々は、まさに学生ならではの“青春”でした」(渡辺さん、以下同)
学生時代にダンスの魅力に気づいた渡辺さんだが、芸能活動を始めた当初は「JELLY」や「S Cawaii!」、「NUTS」、「BLENDA」といったファッション雑誌の読者モデルを主な仕事にしていた。
「当時は今のようにSNSがなく、本当にたくさんの雑誌がある時代でした。ファッションやメイクのトレンドは全て雑誌からだったので、“雑誌に出ることがステータス”だったんですね。なので、とにかく必死になって雑誌の1カットに載ることを意識していました」
雑誌の表紙を飾っても、ギャラは数千円程度。小さな枠の掲載では、ノーギャラもザラにあったそうだ。
それでも、「雑誌で有名になるための“投資”だと思っていた」と渡辺さんは振り返る。
「モデル活動以外に、時給1500円のアルバイトとしてアパレル問屋のモデルをやっていたので、そこで稼いだお金を衣装やコスメの購入に使っていました。雑誌のアンケートに『どのモデルが好きだったか』というランキングがあって。そこにランクインされると、大きな仕事に繋がる可能性が高まるので、読者から注目してもらえるように頑張っていましたね」
そんなCYBERJAPAN DANCERSを長年引っ張ってきたのが、“かなへぇ”の愛称を持つ渡辺加苗さん(36歳)だ。2010年にCYBERJAPAN DANCERSへ加入して以来、常にグループの中心的存在として活躍し、名実ともにトップクラスのダンサーへと成長した。
今年で活動開始から15年目を迎える渡辺さんに、CYBERJAPAN一筋で続けてこられた原動力や過去の苦労話、今後の展望について話を聞いた。
学校時代の青春は「放課後のダンス」
ノーギャラでもいい。雑誌に載るために惜しまなかった“投資”
1986年生まれ。立教大卒。ビジネス、旅行、イベント、カルチャーなど興味関心の湧く分野を中心に執筆活動を行う。社会のA面B面、メジャーからアンダーまで足を運び、現場で知ることを大切にしている
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