「偽ベートーヴェン事件」を追及し切れないメディアと音楽業界の事情
“現代のベートーヴェン”とも称された全聾作曲家・佐村河内守(さむらごうちまもる・50歳)氏は、ニセ作曲家で全聾でもなかった! 『週刊文春』(2/13号)のスクープにより、明らかになった衝撃の事実に対して、2月6日、18年間にわたってゴーストライターを務めてきた新垣隆氏が会見を開いた。
「彼(佐村河内)が世間を欺いて曲を発表していることを知りながら、指示されるがまま曲を書き続けてきた私は共犯者です。障害をお持ちの方、彼の言葉を信じて聞いてくださった方々、見事な演奏をしてくださった演奏家の方々、本当に申し訳ありませんでした」
こう頭を下げた新垣氏は、時に目を潤ませ、時に複雑な心境を吐露しながら事の経緯を解説。
「最初に会ったとき彼は、自分のアイディアを実現したいという強い気持ちがあり、そのために音楽のために当てられていた予算を超えたお金を自分で出して、メンバーを雇い、スタジオを借り、そして私が協力し、そういう形で作っていきました。彼は自分のやりたいことを実現させるために非常に頑張ったのだと思います。(中略)彼が依頼し、私が譜面をつくる、渡すというやりとりだけの関係を保っていましたが、そのなかでやはり彼の情熱と私の情熱が非常に共感し合えたというときもあったと思います」
と、佐村河内氏の情熱にほだされた当時の心境も明らかにした。自身が作曲しながら佐村河内名義で’12年に発表された「ヴァイオリンのためのソナチネ」をソチ五輪のショートプログラムで採用した高橋大輔選手に対しては、「あの曲を選んでくださったことは、私にとって大きな喜び」と正直な気持ちも漏らした。
一方で、「私がいくつかの音の断片みたいなものを提示し、譜面に書き、ピアノ(で演奏した曲)を録音し、それを聞かせて、その中から彼がいくつか選んだ……」「私は普通の(会話を)やりとりしていた」と、佐村河内氏の全聾を否定する事実や、「これからはそういう(全聾の)形で、と言っていたことを聞いた記憶はあります」と“プレー”だったことを明らかにする発言についても言及。佐村河内氏の化けの皮を完全にはがして見せたのだ。
そんなベートーヴェンのゴーストライターによる衝撃会見には、300人以上の報道陣が集結。1時間半にもわたって、すし詰め状態のまま会見が行われたのだが……予想以上にその会見場は平穏だった。場所取りを巡るトラブルもなければ、手厳しい質問もなし。せいぜい「(18年の間に)受け取った報酬を返上する気はあるか?」といういやらしい質問が飛んだくらい。その背景について、スポーツ紙の記者が分析する。
「もちろん、新垣さんが作っていた曲がいい曲だから厳しいことを言いづらいという面もあるのでしょうが、多くのメディアが佐村河内氏の売名行為の片棒を担いでいたから追及しづらいという面もあるのでは? 特番で佐村河内氏に密着取材していたNHKなんかは、『片棒を担いでいたNHKですが……』ぐらいのノリで質問するほうが誠実だった(笑)。出版系メディアにしても、ゴーストライターを使って本を量産してるんだから、正面から批判しづらいのは一緒」
実際、質問に立った日テレの記者は「昨年、佐村河内氏を取材した際に、創作ノートとピアノソナタの譜面を見せてもらいました」と言いつつ、新垣氏にその創作ノートを披露。『モーニングバード』担当のテレ朝記者が『本人が書いたという譜面を見せてもらったのですが……』と質問した際には、その譜面を手にした新垣氏の周りにカメラマンが虫のようにたかり、苦笑が漏れる一コマも。
特番以外にも「あさイチ」などで3回にわたって佐村河内氏を取り上げていたNHKは2月5日の番組で謝罪した。これに続くように、TBS、テレビ朝日、日本テレビも情報番組で謝罪(フジテレビや新聞社は概ね取材の経緯の説明のみ)。ほとんどのメディアが誤報を垂れ流していたのだから、追及の手が鈍っても致し方なしか……。
だが、今回の騒動に対して批判的になれないのは、当のクラシック界も一緒。オーケストラに参加しながらジャズもこなすビオラ奏者が話す。
「仲間内では、新垣さんが手がけた作品が絶版になるなんてもったいない!という人が多いんですよ。実際、『交響曲第一番』なんて、独特の和声のある重厚な曲です。佐村河内さんの『魂の戦慄からHIROSHIMA×レクイエム』というDVDを持っている人なんか、今回の騒動で発売中止になるまえに買っておいてラッキー!って言ってるぐらいです(笑)」
この背景には、クラシック界では“ゴーストライター”という存在が珍しいという側面もある。オーケストラの楽曲も手掛ける作曲家が話す。
「歌謡曲などでは編曲を専門に行う人や、採譜(楽譜に起こすこと)を専門に行う人もいますが、クラシックでは作曲家がメロディから構成、オーケストラの譜面づくりまで全部行うのが一般的なんです。ジャズなどにアレンジするときは、別の専門家が入ることもありますが、基本的にはすべて作曲家一人でつくるもので、そういう技術に長けた人だからこそ作曲家を名乗るのです。そんななかで、ゴーストと言う形で、これだけの作品を残してきた新垣さんは、ある種、尊敬にも値する……。裏方に徹してきたがゆえに、こんな騒動に巻き込まれてしまったことはもったいない」
会見の最後には、今回のスクープを執筆したノンフィクション作家の神山典士氏が「作品には一点の罪もない」ことを強調した。優れた作品がスキャンダルによって闇に葬られることに警鐘を鳴らしたのだ。果たして、新垣氏の作品は、このまま葬り去られてしまうのか? 高橋選手のショートプログラムが最後の演奏会とならないことを祈りたい。 <取材・文/池垣完>
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