素朴な疑問としてのHow To Beプロレスラーになる方法――「フミ斎藤のプロレス講座」第13回
―[フミ斎藤のプロレス講座]―
編集部にこんなメールが届いたので、今週はそのおはなし。差出人はナイトウさん(仮名)という男性で、プロレス志望の若者なのだろうか。プロレスラーになりたいけれど、どうやったらなれるのかがわからないのかもしれない。年齢は不明だけど、きっと十代の終わりか20代前半の“自分探し世代”なのではないだろうか。プロレスのこと。なにかが好きで、そのなにかになりたいと思う自分のこと。そして、いまどきの日本の若者のこと。メールの向こう側からいろいろなものがみえてくる。今回のコラムは、ナイトウさんがプロレス志望の若者と断定したうえでおはなしを進めていくことにする(まちがっていたらごめんなさい)。さて、短いメールなのでまず全文を紹介する。
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入門テスト合格前のレスラーの練習ってどうやってるんですか?
ゴールドジムに通い、走り込みを行いまでは分かるのですが、
あまりスクワット等を何千回とやってる人はさすがにジムでは見ませんし、
夜の公園で隠れて……にしても昨今のランニングブームでも見かけませんし……。
どうやってテスト合格メニューの練習をしているのでしょうか?
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メールの1行めは“入門テスト合格前のレスラーの練習ってどうやってるんですか”という質問ではじまっているから、ナイトウさんはプロレスラーになるためには“入門テスト合格前のレスラーの練習”というマニュアルのようなものがあると考えているのかもしれない。まず最初に知っておかなければならないのは、プロレスラーになるため、つまりプロレス団体の入門テストに合格するためには、大学受験のためのセンター試験のようなコレといった制度やシステムがあるわけではないということだ。そもそも、入門テストの形態やメニューはプロレス団体によってさまざまだし、毎年、決まった時期にオフィシャルな入門テスト(オーディション)をおこなっている団体もあれば、随時、練習生を募集している団体もある。もちろん、新弟子を募集していない団体だってある。
“ゴールドジムに通い、走り込みを行いまではわかるのですが”とあるけれど、インストラクターのいるジムだったらどこもそれほどちがいはないし、その気になれば練習はどんなところでもできるわけだから、とくにゴールドジムに通う必要はない。もちろん、なんでも“形から入る”というスタイルを重んじるのであれば、ゴールドジムに通うことでトレーニングに対するモチベーションがアップするというメンタル面でのメリットはあるかもしれない。基礎体力をつけるという意味では走り込みだけでなく、カーディオ(心肺循環器系)のコンディショニング・トレーニングは必須だろう。
“あまりスクワット等を何千回もやってる人はさすがにジムでは見かけませんし”のところのスクワットとは、おそらくプロレス式のヒンズースクワットをイメージしているのだろう。プロレス式のヒンズースクワットはプロレスファンにとってはひじょうになじみのあるエクササイズ――というよりもコンセプトか――かもしれないけれど、一般的なジムではあまりおこなわれていない運動だから、ナイトウさんが“さすがにジムでは見ません”と考えるのはあたりまえのことだ。ジムで“見かける”か、“見かけない”かは、それが日常的なできごとであるかどうかの判断材料にはなるだろう。
これも、そもそも論になってしまうけれど、そもそもプロレス志望の若者は非日常的な存在であるはずだし、プロレスラーになるためのトレーニングも非日常的なものであるはずだ。ヒンズースクワットを何千回もくり返す光景はもちろん日常的なことではないから、ジムでフツーに見かけるワンシーンではない。
“夜の公園で隠れて……”の部分にはナイトウさんの、というよりもいまどきの日本の若者の“答え合わせ”のメンタリティーのようなものが表れていてひじょうに興味ぶかい(ナイトウさんが若者じゃなくても、それはそれで興味ぶかい)。おそらく、ナイトウさんにとっては外側の世界(世の中、世間、社会)で“それ”を“見かける”か“見かけない”かはひじょうに大きなイシューで、あまり“見かけない”ものを追い求める自分、そういうKYな自分には自信がもてないのかもしれない。ナイトウさんにとって“それ”とはプロレスであり、プロレス的な風景であり、プロレスをめざしている自分と同じような自分以外の若者の存在であったりするのだろう。
自分的には隠れているつもりの――“夜の公園”にやって来ること自体がそもそも“隠れて”いることにはならないのだが――ナイトウさんが観察するところの“夜の公園”の風景のなかには、残念ながらヒンズースクワットをしている若者の姿はない。プロレス志望の若者であろうナイトウさんはやっぱり根本的には少数派である。
“夜の公園”にヒンズースクワットをしている自分以外の他者がひとりくらいいてくれたほうが、元気づけられたり、励まされたり、自分はそれほど変人ではないことがわかって安心できたりするのかもしれないけれど、現実はどうやらそうではない。世の中の常識で“答え合わせ”をしようとすると、やっぱりプロレスというジャンルそのものも、プロレスラーをめざす若者もひじょうにニッチな少数派にカテゴライズされることになる。
ナイトウさんは“どうやってテスト合格メニューの練習をしているのでしょうか?”と問いかける。“どうやって”と“テスト合格メニュー”のあいだには“ほかのみなさんは”あるいは“プロレス志望のぼく以外のみなさんは”という透明のワードが埋め込まれているのだろう。ここにもまた“見かける”ことと“見かけない”ことのマニュアルと“答え合わせ”の思考を発見することができる。
結論からいってしまえば、ほんとうにプロレスラーになるつもりだったら、そういうマニュアルは必要ないし、マニュアルがいらないということは“答え合わせ”も不要になる。かんたんにいえば、プロレスラーになりたかったら、自分からプロレスに近づいていけばいいだけのはなしである。中学、高校または大学でレスリングや柔道で活躍することがプロレスラーになる近道かもしれないし、プロレス団体に入門を直談判するのがやっぱりいちばん手っとり早い方法かもしれない。それが“テスト合格メニュー”だと思ったら、いつでもどこでもヒンズースクワット1000回、腕立て1000回、腹筋1000回をこなせるだけのコンディションを整えておくこともプロレスラーになるための現実的で合理的な方法だろう。
いまどきの若者であるナイトウさんは、いったいだれにあこがれてプロレスラーをめざすようになったのだろう。武藤敬司だろうか。それとも棚橋弘至やオカダ・カズチカあたりの世代か。ひょっとしたら、WWEスーパースターなのだろうか。この国で本格的にプロレスがはじまったのはいまからちょうど60年まえの1954年(昭和29年)で、この年には力道山&木村政彦対シャープ兄弟の“国際大試合”、力道山対木村の“昭和巌流島の決闘”といった歴史的な試合がおこなわれた。昭和30年代はテレビとプロレスの蜜月時代で、テレビが日本じゅうに大プロレス・ブームを起こし、プロレス・ブームがテレビの一般家庭への普及に貢献した。力道山は大相撲出身、木村は柔道出身で、この時代のプロレスラーは相撲、柔道からの転向組がほとんどだった。ナイトウさんは“昭和のヒーロー”力道山のことも“柔道の鬼”木村のことも知らないかもしれない。
力道山の死後、70年代以降の日本のプロレス界はジャイアント馬場の全日本プロレスとアントニオ猪木の新日本プロレスの2大メジャー団体の時代に入った。馬場さんのプロレスは日本テレビ系列で、猪木さんのプロレスはテレビ朝日系列。力道山時代のプロレスが戦後復興と白黒テレビのイメージだとすると、馬場・猪木時代のプロレスは高度経済成長とカラーテレビの映像だった。週に3回、いわゆるゴールデンタイムにフツーのテレビ(民放地上波)でプロレス中継が放送されていて、プロレスラーはお茶の間の人気者だった。テレビでプロレスを観た次の日、小中学生の男の子たちの多くは教室の後ろのほうでプロレスごっこにいそしんだ。全日本、新日本の2団体の所属選手の数は合計で50~60選手だったから、80年代あたりまではプロレスは極端に競技人口の少ないプロスポーツだった。ナイトウさんにとっては、馬場さんも猪木さんもひじょうに遠い存在の歴史上の人物かもしれない。
90年代からはプロレス団体が離合集散と細胞分裂をくり返した結果、団体数そのものはコンスタントに増えつづけ、現在ではメジャー、インディペンデント、所属選手を抱えない興行会社を含めると日本国内で活動しているプロレス組織は100グループを超える。プロレスは、メジャーととらえればどこまでもメジャーで、マイナーととらえればあくまでもマイナーな――その決定権をオーディエンスにゆだねる――玉石混交のジャンルになった。しかし、ジャンルそのものとしてのプロレスと民放テレビの相性は悪くなり、00年代以降はテレビ朝日が新日本プロレスの長寿番組『ワールドプロレスリング』を土曜深夜に30分番組としてオンエアしているだけで、ごく一般的なテレビ視聴者のごく一般的な認識としては、プロレスは「テレビではやっていない」ことになっている。近年は、プロレスの映像(試合とその他のコンテンツ)は衛星放送、PPV、ネット上のさまざまな動画配信サービスへと移行している。だから、日常的な空間では“見かけない”。
専門誌が毎年発行している“プロレスラー名鑑”に掲載されている選手数は現在、男女合わせて600人ほどだが、名鑑には載ってはいないけれど引退もしていないレスラー、活字媒体に紹介されないアンダーグラウンドな空間で活動しているレスラー、地方団体のレスラーまで数えるとその選手数は800~850人くらいになるだろうといわれている。プロレスにはプロボクシングのようなライセンス制度はなく、協会も連盟も存在しない。リングに上がって試合をしている選手、したことがある選手、あるいはプロレスラーを自称している人たちはおしなべて全員、プロレスラーである。
プロレスラーになる方法にも、プロレス団体に入門して練習生生活をへて新人選手としてデビューするという従来のパターンから、現在は総合格闘技のトレーニングをベースにプロレスラーとしてのデビューをめざす実践型、月謝を収めて“プロレス”なんたるかを教わるレスリング・スクール方式などさまざまなメソッドがある。
単純にほかのスポーツと比較することはできないけれど、1球団あたりの支配下選手が70名のプロ野球は全12球団で840選手という枠がはじめから決められていて、毎年のドラフト会議で約100選手の新人が“就職”して、これと同時に約100人の現役選手が“解雇”される。大相撲の序の口から幕内までの力士数は約650人。お相撲さんとプロレスラーの“人口密度”は、不思議なことに、いつもだいたい同じくらいだ。
これは20年ほどまえのデータだが、東京を活動拠点としている劇団(パフォーマンス集団を含む)の数は約3000団体といわれ、それぞれの劇団に3人くらいの俳優さん、役者さんが所属しているとするとその数は軽く1万人以上になる。全国的にはもっと大きな数字になるだろう。“バンドくん人口”となると把握することさえできない。ひと昔まえ、ふた昔まえとくらべるとその“入り口”はかなり多様化し、団体数も選手数もかなり増えているとはいっても、プロレス志望の若者が少数派であることに変わりはない。
ナイトウさんはプロレスラーになれるかもしれないし、なれないかもしれない。きっと、ナイトウさんのメールの向こう側にはナイトウさんのような若者がまだまだたくさんいるのだろう。もちろん、プロレスのほうではいつでも待っている。ナイトウさんのようないまどきの若者がプロレスラーとなって颯爽と観客のまえに登場してくれることを――。
文責/斎藤文彦 イラスト/おはつ
※斎藤文彦さんへの質問メールは、こちら(https://nikkan-spa.jp/inquiry)に! 件名に「フミ斎藤のプロレス講座」と書いたうえで、お送りください。
※このコラムは毎週更新します。次回は、11月4~5日頃に掲載予定!
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